スピリチュアルの世界では「優しさ」が美徳として語られることが多い。
しかし、その「優しさ」を 「甘さ」や「弱さ」と混同してしまう人 が驚くほど多いのが現状だ。
たとえば、一般社会でも「優しい男性」と言えば、女性によっては好意的な意味で使うことがある。
しかし、昭和的な価値観の男社会では「頼りない」「ナヨナヨしている」と 貶し文句 になりがちだ。
さらに、優しい男性に対する女性の評価も、実際には 「自分を攻撃してこない(から、なんなら首輪をつけて尻に敷いて言いなりにできる)」といった都合よく扱えるニュアンスが含まれていることもある。
本人たちに悪気はなくても、「優しさ」を都合よく解釈する構造は、日常生活のあちこちにある。
そして、これはスピリチュアル実践者の世界でも同様だ。
「優しさとは何か?」を本質的に理解せず、勝手な解釈で「優しさ」を勘違いしてしまっている人が多い。
スピリチュアル実践者たちの「優しさ」の勘違い
先日、スピリチュアルな能力を磨くセミナーで「優しさの波動を帯びているか?」を ダウジングロッドで測定する という、なかなかユニークな実習をした。
私は自分で言うのもなんだが、どうやら それなりに優しさの美徳を修めている らしく、ダウジングロッドはビンビンに反応した。
ところが、それを見たある年配の女性が ムキーッ! となった。
「そんなことない!あなたはイタズラな、いかにも男の子って感じの性格。
さっきから私が一生懸命いろいろやってるのに、いちいち揚げ足を取って意地悪してくるじゃないの!
どこが優しいのよ!!」
完全に 勘違い している。
なぜ彼女がそんな怒りを爆発させたのか?
それは、彼女が 「優しさとは、自分の都合のいいように振る舞ってくれること」 だと思い込んでいたからだ。
私は、彼女がセミナーで教わった内容を 「歪曲」して解釈する ことが常習化しているのが気になっていた。
セミナーの内容を 「自分が楽で、都合のいいように受け取る」 ために、完全に誤解し、それを事実として受け止めていたのだ。
だから、私は必要な場面では 「それは違いますよ」 と丁寧に訂正をしていた。
しかし彼女にとってそれは 「意地悪」 に映ったのだろう。
なぜなら、彼女の中では 「優しさ=何も否定せず、傷つけず、甘やかしてくれること」 だからだ。
優しさとは、時に厳しいものである
彼女の「優しさ」の概念は、完全に 自己都合 で成り立っていた。
おそらく、彼女はスピリチュアルな学びの場でも 「厳しい現実を直視すること」 を避け続けてきたのだろう。
例えば、セミナーで
「○○をしてはいけません」
と教わったことを、彼女は
「○○をしても悪いことじゃない」
と、自分にとって都合のいい形で受け取っていた。
これは、 「もし本当の意味でルールを理解したら、自分自身の生き方を見直さなければならない」 という無意識の恐怖があるからだ。
だからこそ、彼女は 本当の意味での優しさ に耐えられなかったのだ。
「優しさの波動」に耐えられない人々
彼女は、他の人のダウジングロッドを 「私によこしなさい!」 と奪い、私を試すように言った。
「さぁ!優しさの波動を放ってごらんなさいよ!!」
その目には、もはや 憎しみ すらこもっていた。
私は静かにオーラを開放した。
すると、ダウジングロッドは ビンビンに開く。
「そんな!そんなはずない!この人は悪い人!優しくない!!」
彼女は呪うようにロッドを睨みつけ、目の前の事実を否定しようとした。
だが、彼女が否定しようと躍起になった、厳しくてゴツい何か。
それこそが 優しさの美徳が持つ本質 なのだと私は捉えている。
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「優しさ」は、甘くもなければ、弱くもない
優しさとは 「すべてを肯定すること」 ではない。
時に、 厳しく指摘することも、優しさの一部 である。
誤った解釈をしている人に、それを指摘することも 本当の優しさ だ。
しかし、世の中には 「甘さ=優しさ」「都合よく扱わせてくれる=優しさ」 と思い込んでいる人が多い。
そういう人たちにとって、本当の優しさは 「意地悪」や「攻撃」 に見えてしまうのだ。
だが、それでも私は言いたい。
「優しさとは、とてもシビアで、厳しいものだ。」
本当に人を大切に思うなら、 その人が成長できる道を示す ことが、真の優しさなのだ。
甘やかして、誤解をそのままにしておくのは 優しさではなく、ただの無責任 である。
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あなたはどちらの「優しさ」を選ぶ?
– 厳しさを伴う、本当の優しさ
– 甘やかして、都合のいいだけの優しさ
スピリチュアルな道を進む者として、本当に成長したいなら、
「優しさ」を 「甘さ」や「弱さ」とは違うものとして捉え直す 必要がある。
あなたは、どちらの優しさを選びますか?
というか、人間の意図という「念」の力で、神にも等しい現実創造能力を発揮するとなったとき、放ってモノを言う波動はどちらでしょうね?
(優しさの美徳を修めることがどうして現実創造能力と関係するのか、わからない人はまた別の機会に)