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コラム

飲み歩き修行、いよいよ卒業

真面目すぎた過去と、欠けていた能力

20代の頃まで、私はどこか「真面目すぎる」ところがあった。
飲み会や砕けた場でうまく立ち回ることができず、それが大きなコンプレックスだった。
社会に出ると、そうした場での振る舞いが円滑な人間関係を築く上で大きな役割を果たすことを知ったが、当時の私は「そこまでして付き合いを深める必要があるのか?」と半ば諦めていた部分もあった。

しかし、社会に出てみると、その姿勢が少しずつ私を孤立させていった。友人たちから遊びに誘われることはなくなり、単純に「つまらない奴」と思われ、距離を置かれるようになった。それが寂しいとは感じなかったが、「もしかすると、社会で生きる上で必要な能力を育ててこなかったのではないか?」という引け目は常にあった。

30歳で会社員を辞め、カウンセラーのような対人接客業で独立した。会社という後ろ盾はなく、自分の人気と信頼がすべての仕事だった。それでも、意外なことに仕事はうまくいった。私の話を聞きたい、相談したいと思う人がいたのだ。これまでの人生では、そういった評価を受けたことがなかったので驚きでもあった。

「飲み屋での会話」が苦手すぎる

仕事では評価されても、砕けた場での会話になると、私は相変わらずぎこちなくなる。誰かが冗談を言ったり、場を盛り上げるためにバカを演じたりしても、うっかり白い目で見てしまう。自分では面白い返しができないし、むしろ場を白けさせることが多かった。

「このままではダメだ」と思い、私は修行を始めた。それは、居酒屋を巡り、見知らぬ人と話し、あわよくば意気投合することを目標にする、いわば”飲み歩き修行”だった。本心では馬が合わない相手とも、あたかも意気投合したかのように振る舞う。つまり、”社交の演技”をする練習だった。

惨憺たる飲み歩き修行のスタート、そして変化

最初の数年は散々だった。話しかけることはできても、その先が続かない。相手の話をどう広げればいいのかわからず、気まずい沈黙が流れることが何度もあった。結局、お金を払って気まずい思いをして帰るだけ。「やっぱり自分はダメな人間なのか」と落ち込む日々が続いた。

しかし、3年、4年と続けるうちに、だんだんとパターンが見えてきた。人はこういう時にこういう反応をすると喜ぶ、こういう場面では真面目な対応よりも、あえてふざけた返しをした方がウケる。そのうち、自然と突っ込みを入れたり、軽いノリで冗談を言えるようになった。

最も驚いたのは、「自分がされたら嫌なこと」が、他人にとってはむしろ楽しいこともあるという発見だった。小さい頃から「自分がされて嫌なことは、他人にもしない」と教わってきたが、それは価値観が同じ場合に限る。少し乱暴にツッコまれたり、イジられたりすることで喜ぶ人もいるのだ。むしろ、そういう距離感を楽しむ人の方が多数派だった。

10年かけて身についた「俗世間での立ち回り」

私は月に何万円と予算を決めて半ば義務的に、習い事のつもりで居酒屋を巡った。テレビで紹介される店を一つずつ訪れ、まるで習い事の月謝を払うように「飲み歩き修行」を続けた。

その結果、5年、6年が経つ頃には、どんな相手ともある程度うまくやれるようになった。さらに年月が経つと、私に先入観を持っていたり、生理的に嫌っていたりする人さえも、あっという間に手なずけられるようになった。まるで人間関係のパターンが頭の中に一覧化されたかのように、瞬時に最適なリアクションができるようになったのだ。

それは、自分でも信じられないほどの変化だった。10年前の自分には想像もできなかった。

もう、飲み歩く必要はない

しかし、10年近く修行を続けた今、私は思う。「もう、やる必要はないな」と。

私は「人に好かれたかった」わけではないし、「友達を作りたかった」わけでもない。ただ、どんな人間とも上手にやれる能力を手に入れたかっただけだ。そして、それはもう手に入った。

だから、潮時なのだ。

どこへ行っても、誰といても、どうにかなる。
だからこそ、もうこの修行は終わりでいいのではないかと思った。

お酒を楽しむという感覚は、最後まで持てなかった

なにより一つ、修行を続けても変わらなかったことがある。
それは、”お酒そのものを楽しむ”という感覚が私にはなかったことだ。

私はそもそも、飲み歩きの修行をしたのは会話を学ぶためであって、酒に強くなりたかったわけではない。
だから、いろんな酒の種類や味は覚えたものの、「純粋にお酒を楽しむ」という感覚には最後まで馴染めなかった。
実際、私の体質は飲酒に向いていなかったし、それはいくら場数を踏んでも変わることはなかった。

また、グルメとしての感性も、10年かけても育たなかった。
「おいしいものを食べて満足する」「味の違いを楽しむ」といった感覚が、どうにも理解できない。
申し訳ないが、食べ物や酒の話で盛り上がることは、今でもできない。
これはこれで一つの”欠落”かもしれないが、私はもう、無理に埋めようとは思わない。
完璧になる必要はないし、興味が持てないものに無理に合わせる必要もない。
ある1つのことを伸ばすのにこんなにも自分の時間や労力というリソースを費やす必要があり、何年もかけて遅々とした変化しかないとなると、欲張っている場合ではないと冷静になるしかなかった。
たった1つのことさえマトモになるのに何年もかかる程度のスペックしか持ち合わせていないのだ自分は、ということが実績として見えてくると、悔しがるような”贅沢”よりも先にどうすれば虻蜂取らずに終わらずに生きるかという打算の方が上回る。
いわば狡猾というか、ある意味では卑怯でもあり臆病でもあり及び腰とでもなんとでも言い得る欠点的要素でもあるのだろうが、それでも何かとバランスの悪いことに幼い頃から辟易としてきた私としては、こうした小市民的な小狡いバランスと手抜きを自然とできるのか、という発見はある意味では嬉しくもあったりした。

苦手を潰す段階は終わり、次のステージへ

10年近く続けた飲み歩き修行の末、私は確かに”俗世間で通用する人間”になった。
しかし、ふと気づくと、もう「苦手を潰す」ことに人生を費やす時間は残されていないと思うようになった。

年齢を重ね、時間の価値がより明確になるにつれ、
「何としてもやりたいこと」だけに集中したいという気持ちが強くなった。
これまでのように、苦手を克服するために時間と労力を使うのではなく、
自分の強みを生かして評価され、求められることにエネルギーを注ぐ。
これが、これからの私のスタンスになっていくのだと思う。

“自分を出す”ことを恐れない生き方へ

ちょうどそんなタイミングで、私はある会社と縁ができた。
健全なベンチャー企業で、それぞれが自分の強みを生かし、積極的に貢献する風土がある。
そこでは、「できることはできる」とはっきり言い、
人が敬遠するようなタスクも自ら拾い、解決した人間が評価される。

そこで働く20代、30代の人たちは、ギラギラしているわけではなく、
「自分の力を生かして、納得のいく仕事をしたい」と素朴に考えている。
彼らと接するうちに、年齢も経験も関係なく、
「できることを堂々とやる」ことが、これからの時代に必要な姿勢なのだと実感した。

私はもう、遠慮もしないし、謙遜もしない。
「これは私ができます」「これをやりました」と堂々と言う。
もし、それを面白く思わない人がいたとしても、私は引っ込まない。
なぜなら、私にはもう”人生の残り”がかかっているからだ。

自分が生きている価値を、社会に証明し続ける

時代は変わった。
「私なんかが……」と遠慮している人間より、
「私はこれができます」と胸を張る人間の方が、生きやすい時代になっている。

年齢を重ねると、どうしても「自分の価値はもうないのでは」と不安になることもある。
しかし、仕事を通じて「あなたにお金を払いたい」「あなたにお願いしたい」と言われることは、
この社会において「あなたはまだ必要とされている」と認められることと同じだ。

そう考えると、自己アピールは決して恥ずかしいことではない。
むしろ、社会で生き続けるために必要な行為だとさえ思える。
この”飲み歩き修行”を卒業することで、私は”健全な自己アピール”という新たな武器を手に入れた。

これからは、もう苦手を克服するためではなく、
「自分の力をどう生かし、どう評価してもらうか」を考えて生きていく。
その方が、時間の価値も、自分の価値も、ずっと大切にできる気がするから。

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