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コラム

暇つぶしに過ぎないスピリチュアル実践者たちの残念な現実

スピリチュアルを学ぶ人たちの「余裕」という皮肉

一見、真剣にスピリチュアルを学んでいるように見える人たちも、
よく観察すると、ある共通点が見えてきます。
それは、ある程度、生活に余裕があるということです。
必ずしも大富豪ではないにせよ、
「生活を切り詰めて必死に生きている」というわけではない人たちが多いのです。

そんな彼らは、スピリチュアルセミナーに時間とお金を費やすことができる。
つまり、「生活にすぐ直結するわけでもない学び」にリソースを割けるほど、
ゆとりある暮らしをしているわけです。

願望実現のモチベーションが弱すぎる

この「余裕」が、実はスピリチュアル実践において大きな障害になります。
彼らは、学びや実践を通して「自分を磨きたい」「願いを叶えたい」とは言うものの、
そもそも強く叶えたい願望がないのです。

学歴や勤め先、結婚相手のスペックも悪くない。
お金に困っているわけでもない。
「何か絶対に変えたい」「這い上がらなければならない」
──そんな強烈な渇望が、ほとんどないのです。

だから、いざスピリチュアルを学んでも、
「どんな願望を実現したいのか?」と問われると、
アイデアが出てこない。

せいぜい出てくるのは、
「みんながくつろげる場をつくりたいな」
といった、ふわっとした話ばかり。
具体性に欠けるため、結局、実現には至らないのです。

おままごと化するスピリチュアルの現場

こうして、セミナーや講座は、
「やってもやらなくてもいいようなきれいごと」を並べる場になりがちです。

全員が全員そうとは限りませんが、
残念ながら全体の空気が“おままごと”のようになってしまう回もあります。

「口先だけのきれいごとを並べて、
なんとなく良い気分に浸る」
──そんな場を私は作りたいとは思いません。

自分がプロデュースする場は、
もっと本気で、もっとリアルな変化を求める人たちのための場でありたいと思っています。

本当にスピリチュアルを必要としている人たちの苦境

一方で、スピリチュアルの力を本当に必要としている人たち──
つまり、社会の底辺で苦しんでいたり、
人生を一発逆転しなければならないような人たちは、
また別の問題を抱えています。

お金も時間も足りない。
そもそも、学び続ける体力や知識が十分にない。
だから、ヒーリングの技能を身につけたくても、
学びきれず、実力をつけられないのです。

そのために、ますますカツカツした人生から抜け出せない──。
この皮肉な構図に、私は日々頭を悩ませています。

皮肉なジレンマと向き合う覚悟

余裕がある人たちは、能力もあり、
学べる環境も整っている。
でも、癒やすべき傷がない。

逆に、傷だらけで本当にスピリチュアルを必要とする人たちは、
それを学び取る余裕すらない。

この矛盾した構図の中で、
私はどうすればいいのかを考え続けています。
そして、今日も試行錯誤を繰り返しています。

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