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コラム

スピリチュアルを学んで十数年を経てもそんなに変わってない人に共通の特徴

要約:

スピリチュアルを学んでも成果が出ない人の特徴は「自分の頭で考えるだけ」で外部情報からの学習と訓練が不足していること。
努力を自己満足で評価し、失敗を認めず堕落ルートへ進みがちだが、それでも支援や成長の可能性は常に存在する。

ポイント:

1. **自己評価の甘さ**
ただやっただけで自分の努力を過大評価し、結果どうなったかという視点を欠いている。

2. **学びと実践の不足**
他者や書籍から学ぶ姿勢やスキルが不足しており、行動による試行錯誤も少ない。

3. **失敗の受容拒否**
過去の誤りを認めず、現状の改善を避けるため結果として堕落ルートに進みがち。

4. **支援の可能性**
人が陥る躓きの各段階において支援する方法が日々、進化しているので改善・回復は可能。

スピリチュアルを学んで十数年を経てもそんなに変わってない人に共通の特徴として

自分の頭で考える(だけ)

がある。

え、それって良いことなんじゃないの?と思うかもしれないし、実際良いことかもしれない。

ただ、いわば説明書も講習も実技練習もなくノーヒントで車を運転するに近い無理ゲー。

できる人からやり方を教わったりスキルを見て盗んだり説明書を探して手に入れて読んだり、あるいは信頼性がある程度以上に担保された古典的名著などの価値ある文献をあたってみたり、という「学ぶ」発想がないことが多い。

もしくは、ちょっとやってみても学び方スキルが低いので、すぐお手上げ🤷

そもそも考える能力も学べておらず悩むだけ。

疲れ切って消耗するので

「私は頑張った。やれるだけのことはやった」

と、人事を尽くしたつもりで自分に⭕️をつけてしまう。

結果を出せているかという観点がなく、とにかく苦労して時間が過ぎて疲れれば💯と甘く自己評価するのだ。

そして天命を待つ。

当然、人事を尽くしてないので来ない。

この状態を何年も続けてしまうと今度は

「私はさんざん頑張ったけど、その努力はぜんぜん報われなかった。世の中そんなもん。人の努力は報われないもの」

と、主語を極大化して“悟りを開く”が如くに誤謬を真実であるかのように決めつけてしまう。

うまくいった人の姿は自分の考えにそぐわないので排除。

うまくいった人の姿を見ると自分が劣っていて惨めに感じるとか、うまくいってズルいと嫉妬しているうちは可愛いもので。

いつのまにか、自分という世界の根本原則を定義した神の思想に歯向かう不届者として、うまくいってる人のことを

「許せない、ありえない」

と罰する感覚になると厄介。

これがあるレッドゾーンにまで突入すると

「神などいない」

的な、それこそ本当の真理をまるごと否定する悪魔的なあり方になってしまう。

これは単純に言えば

「できてない自分に❌をつける勇気や正義、強さetcを持てないから屁理屈をこねて⭕️ということにする」

という、自分の護り方の一種。

しかも、途中までその堕落ルートを歩んでしまうと

「今さら出発地点まで戻るのも一苦労」

に感じ、進む方向を変えるということはこれまでの自分が間違っていたと認めることにもなって屈辱的。いわばこれまでの半生に❌をつける耐え難い行為。

だからもう仕方ないといって堕落の道をヤケで突き進む。

うまくいってない人、個別の些細なバリエーションはあれど、大枠はこんな感じなのよね、世界中みんなだいたいこの図式に当てはまる(だけ)。

べつに複雑な難しさなんかどこにもない、安直でシンプルな図式なのよ。

ただ、実際にその図式にハマっちゃうと思考のみならず現実を±0まで癒すのも難儀ね。

けれど、この躓きのステップそれぞれに支援の可能性はあるし、有効な支援法もみんなが今、世界あちこちで、それぞれのアプローチで、高めて進化させていってる。

かつては不治の病とされたものでも後世には治療できるように、人生を生きる上での躓きは日々、人類の営みによって解消解決の道が整備中!

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