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コラム

起業家としての人生観と、スピリチュアル探究者としてのあり方の狭間で

20年ぶりに再会した「雲の上の人」――再会がもたらした内なる揺らぎ

20代の頃、私はある会社で働いていました。その会社には、ほとんど言葉を交わす機会もなく、ただ遠くから見つめるだけの「雲の上の人」がいました。当時取締役だった女性。その凛とした存在感、厳しさ、そしてどこか近寄りがたい雰囲気は、若かった私にとって憧れと同時に畏れでもありました。

そんな彼女と、20年近い時を経て、まさかの再会。立場も肩書きも変わり、かつての「部下と役員」ではなく、「起業家同士」として話す時間が持てたのです。

社会的成功者の「その後」にある成熟した知性と愛情

彼女は現在57歳。上場企業での長年の役員経験に加え、今は自ら会社を立ち上げ経営しているとのこと。詳しい数字は聞いていませんが、その実績とスキルから考えれば、年商数億円以上、役員報酬も年間で数千万円はあって当然でしょう。

けれど、そんな「ザ・成功者」の彼女が醸し出していたのは、金銭や地位への執着ではなく、余裕と深い愛情、そして静かな知性でした。

「私なんてもう、すっかり『おばあちゃん』だからさぁ」と笑いながら言う姿に、どこか清々しささえ感じました。社会的には何一つ不足のない人が、承認欲求や競争心に縛られることなく、ただ等身大で生きている――それが、なんとも印象的だったのです。

私はちんまいのか――ビジョンのスケールに圧倒された瞬間

会話が進む中で、私自身のキャリアについても話しました。会社を辞めてからの20年、誰にも頼らず、個人事業から法人へと形を変え、自分なりに生きてきたこと。決して華々しくはなくても、困らず暮らしていける程度には実績を築いてきた自負もありました。

彼女は「それはすごいね」と言ってくれました。
でも、次の話題――「これからはどうしたいの?」という問いに、私はスピリチュアルな探究をはじめ、「自分がやりたいことをやる」系のことを述べつつ、
「かといってもういい加減、ただ自分のやりたいことをやれていさえすればいいだけの独りよがりでどうにかフリーランス的に生きていけさえすればいいというわけでもないんですが」
といったことをモゴモゴ言う形に。
要するに、確固たる言霊が乗っていない。論理的にも成立していないし、抽象的で漠然としていて頼りないと自分でも思えました。
そして、そういったことは人材紹介業で長年、一部上場企業のトップにして現場も率いるプレイングマネージャーとして動いてきた彼女からしてもお見通しだった(見透かされた)のを感じました。

その時の彼女の反応。
言葉にはしませんでしたが、「あ、この程度か」と思われたような、ほんの一瞬の空気の揺れを感じました。
穿った見方で憶測を立てていいなら
「なぁんだ。起業までして、いわゆる起業家レベルの能力と視座、思考のスケールの大きさを持っているのかと思って話していたら、ちょっと稼げてる個人事業主どまりの人なのか」
とがっかりした様子(をマナー的に隠してこちらに悟られて私が傷つかないよう?、平静を装ってくれた)。

彼女の描くビジョンは、人を雇い、育て、社会に大きなインパクトを与え続ける会社経営。
年商何億〜何十億円というスケールで、経済を回し、従業員や顧客など関わりある人たちみんなの人生を支え、起業活動を通じて生み出した付加価値を社会に還元していく。

対する私はといえば、自分の暮らしが成り立つだけで満足して、あとは「探究を続けたい」などと言っている。
口ばっかりではなく、言った通り20年近くもちゃんと誰に金銭的に頼るでもなく自活できているので、そこまでダメで惨めというわけでもないとは思いつつも、
たしかに『大企業の経営で社会に大きな規模でインパクトを与える形で貢献していく』ことを数十年単位で地で行けた彼女と比較したとき
「俺、ちんまいなぁ」
と感じました。
率直に「上には上がいる」と思いました。
上と下というのも一個人の勝手な基準でいえばこそなのは百も承知であえて便宜上、言い分をわかりやすくするために使いますが、私は何かと「下」を見て嘆いたりがっかりしたり、気をよくしてそこを引き上げようとしてしまう傾向がある。
それは優しさというよりは、悪気なく無自覚に私が低能・低脳ともいえる界隈で生まれ育った出自ゆえの「さもしさ」なのだと思います。
そして、たしかに大人になる前の時点から東京に上京してその視座や目がいく先を是正?したければすることもできうる環境にいたものの。

ある種の頑固さと逃げ(なんだろうか)?、
ここでいいやという怠惰?、
上を目指して辿り着けたら御の字という20世紀的なあるある成功パターンを今回も繰り返すのは避けたいからという霊的本能?etc

ゆえに、そこまであっさり「ビジネスでエリート化が正解&成功」というふうに思考も行動も変えてこなかった。
それは一理あるし、たしかにビジネスエリートが正解とは今でも思いません。
ただ、逆にいえば
「必ずしも正解だか成功だかと言えるわけでもないけれど、ビジネスの世界でエリートと言ってもらえるだけの実績まで辿り着く『生き様』と得た経験値で上がる人間としてのレベル、大きくなる器というのはあるのでは」
とも素直に思います。
その、自分が選ぶことができなかった&選ぶわけにもいかなかった、20世紀型的なビジネスエリート化を目指そう路線でちゃんとすごいところまで歩んでくることができている彼女が、1つのモデルケースとして目の前に現れた。
歩んでいる道の違いを超えた、人間としてのトータルな経験値の違いを感じざるを得ませんでした。

それでも、私はスピリチュアル探究を選びたい

彼女が見ている世界は具体的で現実的、何よりハイレベル。そこに圧倒されたのは事実です。
ただ、それでも私は、彼女のような経営者になることが「自分の正解」だとは思えませんでした。

私の人生の軸は、やっぱり見えないもの――スピリチュアリティ、エネルギーワーク、魂の在り方の探究と宇宙全体に対する提案etcにあります。

それは社会的に見れば、取るに足らない個人の独りよがりかもしれない。屁理屈だと思われても仕方ないかもしれない。だけど、20年経ってもブレずにそこに情熱を持ち続けていることに、私は自分で誇りを持っています。

ただ同時に、だからといって「ちんまい」ところで終わってしまうのでは、単純に残念な人というだけ。

じゃあ、どうするか。

目指すのは、形を持たない「上場」――魂の成熟と貢献の形

私は社会にとって価値ある人材として貢献しようというからといって、わかりやすく会社を大きくして上場させようとは(現時点では)思っていません。
また、「社会に貢献したい」という意味では、それがわかりやすく経済を回すとか雇用の創出といった起業を通じてではないものの、「なんなら1つの会社をただ創業して大きくするのとは桁違いな宇宙的なインパクト」というところでそれを実現するために受肉してきたという自負もあります(言葉にすると厨二病感がすごくて自分でも顔にタテ線が入る心地ですが)。

形が違うだけ。売上では測れない貢献も、あると信じています。
もし仮に、私がビジネスに全力を注げば、彼女のような成果を出せる可能性もある――そのくらいの誇りは持ちつつ、私はあえて“別の山”を登ることを選んでいるのだと思います。
ただ実際どうなのか?と省みたとき、まだ言語化しきれてないですが「なんだかんだいって経験不足」と率直に感じました。

スピリチュアルな探究を自己満足で終わらせないために。誰かの人生に小さくでも光を届けることができるように。魂レベルでの「社会的インパクト」を、私なりに追求していきたいと思っています。

スケールが違うからこそ見えた、私の道の輪郭

大きなビジョンに触れたことで、自分のちんまさが際立ちました。でも、そのちんまさを恥じるのではなく、「自分の立っている場所を確認する機会」だったのだと思います。

私がここに書いたような感慨で唇をひそかに噛み締めながら平静を装って会話を続けているのを彼女の側でも当然のごとく察したようで。
昔の知り合いのよしみだからおせっかいに感じたらごめんだけど言っちゃうね、という感じで

「具体的にあなたが今、考えてるプランを私は詳細に把握できているわけではないんだけど」
と切り出し、
「今の殻を破ってまた一段、上と前に進むためにはこうするしかないと思えているものがあるなら、大変だろうけど重い腰を上げないと、『やろうとしたけどできなかったおじいちゃん』になってしまうよ?」
といった旨のことを言ってくれました。いきなり見知らぬ人から言われたらムッとするところでしょうが、不思議と腹は立たず、むしろありがたい指摘に感じました。
還暦を前に、50代を過ぎていろんな意味でなにかと億劫に感じるようになってきて今はもう昔できていたことがどんどんできなくなっていってしまっているから、と自身の体験談を交えつつ
「今まだ40代でしょ?50代に入る前のこの数年間、『今しかない』と思ってやってみたら?」
と。

そこで思い出した。
私、ちょうど20年前に会社に転職して挨拶に伺った際も、彼女から同じ図式のことを言われたのです。
「納得する30代からの人生を叶えるために、20代後半のこの数年間をがっつり仕事に打ち込んでみるのもいいんじゃない?」
という内容でしたが。

なにかスピリチュアルな縁あるメンターとして、節目になぜか現れてきてくれる人だったりするんでしょうか(←お花畑系スピあるあるの都合のいいでっちあげふぅw)。

ちょうど2025年の5/19前後、また一段と世界線というか宇宙の次元がワンランク、アセンションする(しない人たちと次元が分かれる)という都市伝説めいたスピ話が出回っている週。
これもまたおめでたいこじつけだろうと思われても仕方ありませんが、先週からこの手の、サナギが蝶に変態するかのような、それまでの延長線上ではない全然違うところに脱皮するきっかけ・刺激・メッセージになる出来事が相次いでおり、私自身ちょっと出来事の連続をうまく整理しきれてない段階。
でも、べつにマスコミがニュースで騒ぐわけではないけれど、エネルギー的にすごい節目が来てる実感がビンビン。

会社を育てる人がいて、魂を探究する人がいる。両方があっていい。だからこそ私は、魂の仕事に誇りを持って、この先の人生を歩いていきたい。
そして、どの道を歩くにせよ、「べつにこのへんのショボさでいいや」とは、少なくとも私は思わない(ようにしよう)。

……という契機になりましたとさ。(ただの日記、乙!)

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