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コラム

「一見ポジティブ」の裏にあるもの──信用に足るといえない人を見限る処世術

一見「いい人」の裏にある危うさ

「明るくて元気で、いつも前向き」
そんなポジティブな印象を持たれる人っていますよね。

でも、年齢を重ねて周囲を見る目が養われてくると、
その「明るさ」が実は本人の未熟さや能力の低さをカバーするための処世術であることに気づくことがあります。

たとえば――

  • 何をやっても失敗ばかり
  • でも反省も改善もない
  • 人の話は聞かず、自分のやり方で突っ走る
  • 失敗しても「次こそがんばるぞ!」と明るくリセット
  • 結果、いつまでも同じミスを繰り返す

そんな人がいたら、明るさや元気さは、単なるごまかしでしかないのかもしれません。


「癖のある強み」には、だいたい裏がある

こうした「強みっぽいけど実は弱みの裏返し」というケースは他にもたくさんあります。

例1:社交的すぎる人

いつでも誰とでも話せるけど、実は一人でいられない寂しがり屋。孤独や不安を紛らわすために群れている。

例2:決断が早すぎる人

行動力があるように見えるけれど、実は深く考えるのが苦手で、検討や調整を放棄して突っ走っているだけ。

例3:人当たりが良すぎる人

ニコニコしているけれど、実は「嫌われたくない」という不安の裏返しで、本音が見えない・信用できない。


見抜けるようになったからこそ、割り切る

ある時から、私はこうした「表面的な強みの裏にある癖や欠点」を見抜けるようになってきました。

本人が気づいていなくても、その人の言動の奥にある無意識のバランスや歪みが見えるようになるのです。

でも、だからといっていちいち指摘したり、正したりはしません。
指導する関係でない限り、口出しはしない。


「使える人」と「使えない人」を見極める

私は私で、自分の人生という“ゲーム”を進めていかないといけません。

だからこそ、
まるでテトリスやぷよぷよのように、
目の前の人を見極めて、
「この人は今の自分にとって使えるか、使えないか」を判断するようにしています。

冷たく感じるかもしれませんが、実際そのほうがトラブルにも巻き込まれず、
かえって世の中、スムーズに生きていけるものなのです。


自分で気づかない限り、変わらない

人の欠点というのは、本人が「直したい」と思っていない限り
誰に何を言われても変わりません。

それどころか、他人からの指摘にムッとしたり、逆ギレされたり、距離を置かれたり……
損をするのはこっちです。

だから私は、
「欠点を放置した結果、ちんまい人生で終わるなら、それもその人の選択」
と、割り切っています。


私は「今ここ」で、美味しいとこ取りで生きる

そんな私も昭和生まれ。
かつては「人との絆」や「助け合い」が大切だと信じて生きてきました。

でも、今の若い世代を見ていると、
「え、知らないし関係ない。私はこうしたいだけ」
と、あっさり自分軸で動いている姿に、時代の変化を感じます。

そして思うのです。

私も、「生まれは昭和」でも「生きるのは『今、そしてこれから』」
時代に合わせて、軽やかに、要領よく、しなやかに。
自分のために、賢く、美味しいとこ取りで生きていこうと。


まとめ:冷たい?いいえ、実はとても賢明な選択

他人のことを自分のことのように真剣に考えるのは、
一見優しさに見えて、時に自分を疲弊させ、誰のためにもならないことがあります。

「冷たい」と思われるくらいが、
ちょうどいい。

そんなふうに思えるようになった今、
私はもっともっと上手に生きていきたいのです。

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