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コラム

「変わらない人」との距離感が変わったとき 〜自分らしく生きるための選択〜

はじめに

ここ数か月、自分の中で大きな変化を感じています。それは、これまで苦しんでいたエネルギーや物事に対する「免疫」とも言うべき耐性が、少しずつついてきたことです。もちろん、物理的な免疫とは異なり、精神的な成長としての話ですが、その変化が自分を少しずつ楽にしてくれていると感じます。


「変わらない人」との付き合い方が変わった

ヒーラーとして活動している中で、一つ大きな壁がありました。それは、「どうしても変わろうとしない人たち」との関係性です。自分の成長意欲が強かった頃は、どんなに難しい相手でも、どうにかサポートしようと頑張っていました。しかし、視野を広げてみたときに気づいたのです。

同じエネルギーを注ぐなら、「打てば響く人」に注いだ方が良いのではないかと。実際、いろいろな人と接する中で、スピリチュアルなサポートがより響きやすい層があることに気づきました。それが分かったとき、「変わろうとしない人」に固執する必要がないことが腑に落ちたのです。


居場所へのこだわりを手放す

もう一つ、大きな気づきがありました。それは、自分が「スピリチュアル界隈にしか居場所がない」と無意識に思い込んでいたことです。しかし、世間一般で言う「ハイスペックな人たち」との交流を増やす中で、自分のスピリチュアルな働きかけが意外にも伝わりやすいことを実感しました。

これまでは「スピリチュアルな困ったちゃん」ばかりに時間を割き、その人たちが何年経っても一向に変わらない現実にモヤモヤしていました。しかし、社会で活躍する健全な人たちと接するようにスタンスを切り替え、何年でもドロドロした解決の見えないどん底をさまよい続けることを“その人自身の第一希望で選び取っている(ことをなんとしてもやめない)”人たちとは距離をとる中で、ネガティブなエネルギーに巻き込まれることが減り、私自身も健全な常識感覚を取り戻しました。


変わらない人たちへの「免疫」がついた

変わろうとしない人たちと接する際に感じるストレスが薄れてきた理由は、単純に接する時間と人数を減らしたからというのもありますが、それ以上に、そうした人の有様や言い分がワンパターンで底が透けて見えるというか、しょせんは浅はかな子どもじみた論理的にも穴だらけの言い訳と憐憫を誘う被害者意識ゆえの下手な芝居、と見抜けて「免疫」がついたからかもしれません。ネガティブなエネルギーをまとい、愚痴や言い訳ばかり繰り返す人たちと接することで、逆に免疫が強くなったのです。

シンプルに言えば、「ああ、またこのパターンね」と感じる余裕が出てきたのです。そして、それが「無理して付き合う必要はない」と考えるきっかけになりました。結果として、自分が自然体でいられる環境を選べるようになったのです。


自分に合った場所で咲くために

これまで、「変わらない人たち」を何とかしようと努力してきた自分がいました。しかし、そのエネルギーをもっと響きやすい人たちや環境に注ぐことで、自分自身も楽になりました。

私はこれからも、自分の努力が実る場所で、自分らしく咲いていこうと思います。ドライかもしれないけれど、これが私にとっての自然体です。自分に合わない人と無理して付き合う必要はないと、やっと納得できたのです。


おわりに

変わらない人たちに悩まされることは、ヒーラーとしても一人の人間としても、大きな課題でした。でも、その悩みを経て、自分のエネルギーを注ぐ相手を見極められるようになった今、少しずつ自由になっている気がします。これからは、自分に合った場所で心地よく過ごしていこうと思います。

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