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コラム

スピリチュアル=悪魔崇拝?解像度の低い断定の危うさ

スピリチュアル信奉者は本当に悪魔崇拝者なのか?

近年、「スピリチュアルなものはすべて悪魔崇拝である」といった極端な主張を目にすることがあります。科学的に証明されていないからスピリチュアルは存在しない、という意見とは別に、「スピリチュアル=悪魔崇拝」と決めつけ、何の検証もなく断罪してしまう風潮です。

このような考え方が広まると、スピリチュアルに関するあらゆる話題が「悪魔崇拝」とされ、排斥されることが正義のように語られることになります。
これは一部の政治家や芸能人を悪魔崇拝秘密結社のパシリだと(決定的な証拠があるわけでもなく、実際は真偽のほどはわからないまま無責任に噂を流したり信じたりして)
「あいつも悪魔崇拝だから悪者」
と決めつける風潮と同列の、非常に短絡的な思考だと感じざるを得ません。
(そして厳密にいうと、悪魔崇拝を起源?とする政治的意味合いを持つ結社の一員として悪魔崇拝をする立場を実際とっている人というのがもしいるとしても、ただ一個人としてスピリチュアルを大切に思う人がそういう人たちと同じ『悪魔崇拝』という単語で一緒くたにされるのは、あまりにお粗末なのでは)

「悪魔崇拝」の概念を都合よく利用する人々

こういった主張をする人たちには、ある特徴があります。それは、「悪魔崇拝」という概念を絶対的なものとして信じているという点です。

たとえば、私自身は何かを「崇拝する」という行為をしたことがありません。というか、それがどんな状態なのか想像できないのです。
有名なロックスターやカリスマ的な人物に対しても、憧れや尊敬の気持ちは抱いても「崇拝」と感じるような気持ちになったことは一度も。
ましてや、特定の宗教を信仰しているわけでもなく、人間一人を特別に大切にするのが望ましいとされる結婚すら「面倒だからしない」と考えるほどの立場です。

そんな私から見ると、「スピリチュアル=悪魔崇拝」と言う人たちは、なぜそこまで「崇拝」という行為を当然のものと考えているのか疑問に思います。そして、崇拝するならなぜ「悪魔」なのか。そこでいう悪魔とはどういうものを指しているのか。
その定義と判断基準の曖昧さに驚かされます。

「全て悪か善か」で判断する危うさ

このような断定的な思考には、極端な二元論が潜んでいます。「清廉潔白でなければ全てダメ」という考え方が根底にあり、ほんのわずかな「ブラックかもしれない点」一つをも許容できないのです。

岡田斗司夫氏が、「最近の日本人はホワイト思考すぎる。政治家であってもシミ一つない純白の清廉潔白さでないと認めず、少しでも黒いと勝手に自分が感じる要素があれば完全にダメと判断する」という趣旨の発言をしていましたが、まさにこの問題と通じるものがあります。

他人に完璧を求め、たった一つの欠点(だと自分が勝手に一方的にダメ出し判定をする)で全否定するのは簡単です。しかし、それは「難解なクイズを他人に出し続け、一問でも間違えたらバカ者と断じる」のと同じような不毛な行為ではないでしょうか。

断定的な思考から距離を置くべき理由

こうした極端な考え方に染まると、「自分は真実を突いた」と錯覚しがちです。まるで探偵のように他人の「悪事」を暴くことで、自分自身を正義の側に置き、優越感に浸ることができるからです。

しかし、こうした思考に巻き込まれないためには、一つのシンプルな結論にたどり着きます。

「安直に断定する人とは距離を置き、彼らの言い分を真に受けない」

冷静に考えれば、「スピリチュアル=悪魔崇拝」という短絡的な決めつけが、どれほど乱暴で根拠に欠けたものかがわかるはずです。思考停止せず、広い視野を持って物事を考えていきたいものですね。

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