うやうやしく従い、裏で反抗する“プレイ”
私が主宰していたスピリチュアルな自己実現セミナーには、夢や目標を語り、うやうやしく参加してくる人たちがいました。しかし彼らの多くは、実際には何もしない。アドバイスを受けても行動に移さず、それどころか私が「あのとき言っていた夢の実現に向けて何か行動をしていますか?」などと問いかければ、SNS上で「いちいちうるせーんだよ」といった反抗的なエアリプともとれる投稿をしてくる――。
まるで親に反抗する思春期のように、私を“教師役”に据えて自分探しごっこをしているように見えました。
「変わる」は口だけ、実際は“関係性のドラマ”を楽しむだけ
彼らは現実を変える気などなかったのです。変わることに取り組むのではなく、スピリチュアルの場を「安全な反抗の遊び場」として使っていた。言ってみれば、「セミナーに通うこと」が目的になってしまっていたのです。自分を変えるどころか、他人に反抗するための材料としてスピリチュアルを利用していたわけです。
一切関わらない実験――その結果、反応も消えた
そこで私は、彼らと一切関わらない方針を取りました。セミナーに招かず、開催も控え、連絡もしない。すると驚くべきことに、SNSでの夢や自己実現に関する投稿はピタリと止まり、中にはアカウントを削除した人もいました。「夢なんて叶えたくない」といった逆張り発言すら消え、まるで舞台から観客がいなくなった役者のように、何も表現しなくなったのです。
結局、反抗相手がいなければ何もしない人たち
これは驚きでもあり、残念でもありました。反抗の対象――つまり私がいなければ、彼らは考えることも、動くことも、表現することもできない。そこには“自分の意志”というものが存在していなかったのです。まさに幼稚。思春期の「反抗期」のまま、精神的に成長していない姿が浮かび上がりました。
嫌われ役はもう終わりにする
私はもう、そういう人たちの“サンドバッグ”にはなりません。反抗するだけで何も生み出さない相手に、貴重な時間や労力を費やすつもりはないのです。私の人生にだって限りがあります。誰かの成長ごっこに付き合っている余裕はありません。
一般社会に戻って気づいた“成熟の世界”
皮肉なことに、私はスピリチュアルの現場から離れ、かつての一般的とされる業種の仕事に戻りました。
私が20代の頃に幅を利かせていた、「どこの会社でもある程度はブラック企業的で理不尽」という体質は今ではよほど変な会社でもない限り、なりを潜めていることに感動しました。
そして今の私が率直に自己アピールし、それを評価してくれて、私の側でも信頼を寄せてジョインした今の職場には人格的に成熟した人が多くいました。
口先だけの夢や自己変革を語るスピリチュアル傾倒者のような裏腹な有様の人は皆無。
むしろそこには実直に、仕事での貢献とスキル習熟を通じて自分を磨いて実績や成果からの評価を受け取り次に繋げるという、まっとうに現実を良い方へ変えている人たちがいたのです。
終わりに――スピリチュアルに“本気”で向き合うために
スピリチュアルの力は本来、現実を良くするためのものです。しかしその言葉の背後に、現実逃避や関係性のドラマを持ち込む人がいるのも事実です。私はもう一度、そうした人たちとは距離を取り、本当に人生を変えたい人とだけ、真摯に関わっていきたいと考えています。