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コラム

結局は「幸せマウント」だった? 〜スピリチュアル実践者たちの時代遅れ感と残念な浅ましさ〜

スピリチュアルを提供する立場から見えてきたこと

これまで、スピリチュアルヒーリングに真剣に取り組む人たちと関わりながら、学びや実践の場を提供してきました。
多くの人が真面目に、そして真剣に「癒し」や「成長」に向き合っていたのは確かです。

しかし、数年前まではスピリチュアルが一歩間違うと“かわいそうな自分が愛される物語”に酔いしれるための場になりがちでした。
いわば、傷をなめ合って慰めあう「負け犬ポルノ」に陥ることも少なくなかったのです。


「初歩的な悩み=古ダサ」な時代の空気

しかし最近では、スピリチュアルの場に集う人々の間に、これまでとは別の、ある種の“空気”が生まれています。

「そんなことで悩んでるの?いまどき古くさっ!」
「まだ『そこどまり』だなんてイケてないわね」

というような、ある種のシラけた反応が定着しつつあるのです。

もちろん、これは成長を促すという意味では良いプレッシャーにもなります。周囲が先に進んでいることを目の当たりにし、「自分も変わらなくちゃ」と行動する人もいます。実際、セミナーの場でもそんな変化を見てきました。

ところがその一方で、「みんなに疎外されたくない」「ダサいと思われたくない」という思いから、悩みを本音で出せず、表面だけを取り繕う参加者も増えてきたのです。


今度は「幸せマウント合戦」が始まった

そして近年、その空気がさらに変質し始めています。

「なんたって私は今や、こーんなに幸せなのよォ!」

と、いわば“幸せマウント”の応酬です。

かつてはブランドバッグや彼氏のスペックで競い合っていたような見栄っ張り文化が、スピリチュアルの世界にも入り込んできてしまったように感じます。


現世利益=「癒し」ではない

もちろん、お金がない、食べ物に困る、恋人がいない…といった物理的な欠乏が過度になれば、精神面にも影響が出るのは当然です。

しかし、

  • 稼げるようになった
  • SNSのフォロワーが増えた
  • 有名になった
  • 理想のパートナーと出会った

などといった“見える幸せ”が、スピリチュアル的な癒しや成長の証だと錯覚してしまっている人が目立ちます。

それは単なる思い込みであり、ヒーリング技法を習得していても、人生観や本質的な見方が変わっていない人があまりに多い。


起業女子あるあるに飲み込まれたスピリチュアル

「やりたいことを叶えて、キラキラ輝く女性に!」
そんな起業女子育成スクール的なノリが、スピリチュアルの場にまで広がってしまっている現状に、正直ちょっと引いてしまいます。

それが“健全で洗練されたスピリチュアル”と言えるのでしょうか?

私はそうは思えません。


それでも、みんな自分の人生を生きている

もちろん、ここに書いたことは、面と向かって相手に言うことはありません。

「あぁ、あなたはそうなんですね」

と思うだけです。

最終的には、誰もが自分の人生を選び取り、生きていくしかないのですから。

棒読みですが(笑)、
「生きたいように生きて、悔いのないように一生を終えるのが一番」なのかもしれませんね。


📝まとめ

  • スピリチュアル実践の場が“負け犬の癒しポルノ”から“幸せマウント合戦”へと変化している
  • 進化と成長を促す空気の中で、本音を出せず取り繕う人も増えている
  • 表面的な「成功」を癒しのゴールだと誤認している人が多い
  • 見た目の“輝き”と本当の“癒し”は、まったく別のもの

この風潮は、ちょっとどうにかしたいところですな。

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