usamimiのブログを読む
コラム

「口ばっかり」なスピリチュアリストの正体──現実と向き合うインストラクターの苦悩と気づき

はじめに:「お花畑」スピリチュアルを越えて

スピリチュアルヒーリングの指導に長年携わってきた私は、いわゆる「お花畑系スピリチュアリスト」とは一線を画し、現実を生き抜く力としてのヒーリング技能を教えてきたつもりです。理想は、人生や仕事に具体的な成果をもたらす力としてのスピリチュアルを育むこと。

ですが、現実は理想どおりにはいかず、「理想的な指導」に応えられる生徒さんはごく一部。
ただ、これは他の習い事にも通じる、いわば誰にでも起こる「ままならぬ現実」だと受け止めて我慢していました。


現実の壁:能力そのものの限界に直面して

私はこれまで、生徒がスピリチュアルに「本気で取り組めない理由」は、時間の制約や、仕事や家庭との両立の難しさ、あるいは精神的な覚悟の足りなさだと考えていました。

なにしろ私自身、大人になってから始めた楽器などではダメダメな生徒側。
10年以上も習ったところで、そもそも月に2回のレッスン(1回あたり50分)でしかない。
その上、フルタイムで会社に通勤して仕事をしてとなるとそもそも毎日練習すること自体が至難の業。
練習できたとしてもせいぜい15分を捻出するのがやっと。その15分の練習さえ、仕事で疲れ切って集中力ゼロ、みたいな。
そもそもプロになる覚悟なんてないし、音大受験生のように期限がありそこまでにどのレベルまで実力が到達していなければいけないかというノルマも目標もない。
そりゃ音楽教室の先生方みたいに、子供の頃からなんなら週に何度も(基本的に毎日とか?)レッスンに通い、部活や他の習い事も一切せずにひたすら1つの楽器に打ち込んで受験期には1日何時間も練習に練習を重ねて音大に進学した後はさらに卒業できるか、プロになれるか否かで熾烈な競争……というガチンコ音楽人生を過ごした人たちとは、取り組む姿勢から投下する時間・労力・お金などの資本各種の質も量もなにもかも桁違い(に、私の方がショボい)。
それがスピリチュアルヒーリングに関しては私が教える側になっただけの話で、生徒の方々は楽器を習う私同様、ショボショボでもそれは仕方がないことなのかもな、と割り切っていたのです。

しかし、ITスキルや創作ワークショップなど、スピリチュアルとは異なる実務的な領域で一緒に作業してみた結果、もっと根本的な問題に直面したのです。

それは、「そもそも物事を論理的に理解し、判断・実行する能力が著しく低い人が意外と多い」という現実でした。


「できない」の正体:口先だけが一人前な人々

当然、誰でも最初は不慣れで下手であるのは当然のこと。しかし、彼らの「できなさ」は単なる不器用を超えていました。
はっきりと断言しても偏見になりかねないので控えますが、ちょっとやそっとの「ちゃんとする」「気をつける」といった心がけではカバーできない能力値にいることを痛感せざるを得なかったのです。

にもかかわらず、彼らはなぜか口先だけは達者。
「私は特別な魂」
「この世に存在するだけで波動が高くて影響力がある」
といった、大言壮語を繰り返します。

最初は「口ばっかりだな」と苛立ちましたが、やがて気づいたのです。
他のことがろくすっぽなにもかもまともにできない彼らのスペックからすれば、唯一「妄想を繰り広げて、無責任でもインチキでもなんでも概念を練り上げてそれを発話して表明することができる」能力だけは人並み以上に身についたということ自体が奇跡なのだと


現実逃避としてのスピリチュアル──癒しのポルノ

子どもの頃から何をやっても理解できない、言われたことがわからない、うまくできない──そんな人生を歩んできたとしたら、「できない自分を見つめる現実」はあまりにも残酷でしょう。

だからこそ、科学で証明できない、目に見えないからこそ無責任にどんなデタラメでもでっちあげの空想でも妄想でもどこまでも好き勝手に口先でだけ言えて、かつ「自分は選ばれた存在」といった香ばしい選民思想で優越感という悪徳に浸れる、傷ついた自尊心の補償行為としての”スピリチュアル”は、初めて手に入れた“癒し”のように感じられてしまうのかもしれません。

しかし、これはもはやスピリチュアルではなく、ポルノのような快楽装置となってしまった「現実逃避」とも言えるのです。


インストラクターとしての葛藤と限界

そんな相手に向かって、「逃げるな」「現実を見ろ」と言うことは、残酷すぎるのかもしれない──そう思い始めた私は、自分の指導者としてのスタンスに疑問を感じざるを得ませんでした。

スピリチュアルヒーリングは本来、人並み以上にありとあらゆる能力(論理力、観察力、感性、さらには笑顔や演技力といった接客、対人コミュニケーション能力etc)が求められる複雑な技能です。それを「普通とされる水準よりはるかに劣る能力の持ち主」に伝えることは、もはや不可能なのかもしれない。


それでも、私は「ある」と思っている

厳しい現実に直面した今でも、私は信じています。

スピリチュアルヒーリングは本物であり実在する。
ちゃんと取り組めば、「できる」し「ある」ものだと。

ただし、それを形にできるかどうかは、取り組む人間の資質に大きく左右される──それは否めません。


最後に:半歩ずつでも前へ進むために

よく、鬼才のピアニストや武術家など傑出した存在がそのあまりに独自の才能ゆえ弟子にその真髄を伝えられないというような話がありますが、それがまさか私にとって他人事じゃ済まないとは思ってもみませんでした。

それでも、今ここに現れてくれている人々こそが私にとってインストラクターとしての資質を高めるための現場経験を積む相手をしてくださる「霊的に最善の縁」だと信じたい。
そして完全にあきらめることなく、また自分のエゴ的な独善を押し付ける形の指導に終わることなく、彼らが歩めるペースで、彼ら1人1人のペースと現段階からせめて半歩先の未来を示し続けるインストラクターでありたい──そう思いを新たにしています。

PAGE TOP
ログイン 会員登録
会員登録