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コラム

良かれと思っての脱スピリチュアルな風潮に踊らされない

〜記事要約〜
この記事は、最近のスピリチュアル界隈で、表面的で商業的な「なんちゃってスピリチュアル」を否定する動きが高まっていることについて述べています。これまでは、「引き寄せの法則」などの簡単な開運法や成功・恋愛を謳うスピリチュアルが流行していましたが、そうした内容が浅薄であると批判される傾向が強まっています。

筆者は、この変化を前向きに捉えつつ、実際に深いスピリチュアルを探究している人々が誤解されないよう注意を促しています。表面的なスピリチュアルと本質的なスピリチュアルには大きな違いがあり、後者は真実の探究や成長を重視するものだと述べています。筆者は、この「似非スピリチュアルからの脱却ムーブメント」を、自分に関係のないものとして客観的に見守って良いと締めくくっています。

最近、おそらく良い意味で、これまでの「たしかにそれは怪しいよね」という不完全で似非(エセ)なスピリチュアルを否定する風潮が、スピリチュアル界隈にも起きてきています。

これまでスピリチュアルで開運&商売繁盛で億万長者+モテモテ、を謳っていたインフルーエンサー的存在たちがこぞって?、

「もう引き寄せの法則とか信じてるスピリチュアルは時代遅れ!」

と警鐘を鳴らすメッセージを発信するようになってきていますね。

個人的には私はこれをとても良いことだと思っています。

ただ同時に、スピリチュアルの否定という大きな捉え方をすると、これまでも今もなおスピリチュアルな探究をしている・なんらかの形で関わっていると感じる人は、

自分自身を否定されたように感じてしまう

かもしれません。

自分がやってきたことが、自分が今まさにやっていることが、自分の中ではとても大事だと思っていて、本当にあると確信できていることが、(また)インチキ呼ばわりされて非難される。

こういう受け止め方をしてしまう人は、つらいでしょうね。

ただ、ここで重要なのは「それってどんな(ニュアンスの)スピリチュアル?」という問いを、解像度高くちゃんとすること。

はっきりいって、YouTubeなど大海すぎるマスに向けて一定の支持を得てしまうようなスピリチュアルというのは、「誰でも受け止められる・受け入れられる浅い程度」のもの。
チャラいんです。

だって、本当に深遠なスピリチュアルな真実にわずかでも触れそうになるや否や、みんな目がグルグル回って頭が真っ白で突然、何も考えられない思い出せない不思議な状態に陥って雑念だらけで感情が謎の起伏し放題で冷静でいられなくなり、目も耳ももはや何の情報も受け取れない……といった“(心理/思考)ブロック発動”状態になるじゃないですか。
それが起きずにのほほんと流し見できる程度のスピリチュアル情報なんて、はっきりいって真実の度合いでいえば極薄だし、そもそも真実味なんてものはハナから考えてもいないエンタメに徹する「なんちゃって」であることが大半でもおかしくない。

これまでも、そういうチャラい路線じゃなくちゃんとしてる、中身がある、修練を積んで上達や気づきで変容を遂げていける手応え・歯応えがちゃんとあるスピリチュアルを探究してた人は、気にする必要ないです。
自分が取り組んでいるものとは違う、チャラい意味でのスピリチュアル……それはつまりもはや戯れ言の類いですね……に陥っている人たちがハッと気づくタイミングと流れが来ているみたいだな、と第三者視点でいればいいと思います。

本当のスピリチュアルはいつの世も不変にして普遍。
(ただ、『不変』の方は、ここ数年の嘘のような霊的摂理自体の変化・進化を考えるともはやなかなか……な印象がありますが)

自分が見つめているスピリチュアルがちゃんとしているものだと思えるなら。
直接自分の取り組みにチャチャを入れられたわけでもないのなら。

これから加速していくのかもしれない、
「(似非)スピリチュアルに騙される状態から脱却しよう!」
ムーブメントは、自分と無関係のどこかの該当者たち頑張れ〜、程度の認識でいていいと思います。

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