要約
現代はハッタリではなく、実力が評価される時代。SNSやデータが影響力を可視化し、真の実力が問われる中、自信を持つには実力の裏付けが必要。ポイント
1. ハッタリが通用しない社会: 昔の威圧的なキャラクターでは評価されず、実績やスキルが重視される時代へ。
2. ファクトフルネスの重要性: SNSや数値データが影響力や能力を客観的に示す指標になっている。
3. 実力に裏付けされた自信: 磨いたスキルや成果が評価されるため、努力と実力が必要不可欠。
4. 変化に適応する力: これからの社会では、真の実力を高め、自分らしさを発信する力が求められる。
かつての日本社会では、「凄み」を見せるとはっきり言ってハッタリがほとんどでした。声が大きい、態度が横柄、貫禄を漂わせる。まるで動物の群れの中で強そうに見える個体がリーダーシップを取るかのように、力や勢いで人々の注目や信頼を得る時代だったのです。
しかし、時代は変わりました。昭和や平成の「ハッタリ社会」から、令和の「ファクトフルネス社会」へと移行しています。SNSのフォロワー数や視聴回数、実績データのように、見える形の「数値」がその人の影響力や信頼性を示す指標になったのです。ただキャラが強いだけの人間は通用しなくなり、代わりに実力の裏付けを持った人だけが評価されるようになりました。
ハッタリが通用しない時代の実態
現代では、年功序列や威圧的な態度だけでは尊敬を勝ち取れません。むしろ、こうした中身のない「威張るだけ」の行動は、時代遅れの象徴として老害扱いされがちです。それでも昔のやり方に固執する中高年がいるのは事実ですが、それは狭いコミュニティや小規模な集団内でのみ通用するに過ぎません。
一方で、デジタル技術やSNSの普及によって、多くの人が「本物」と「見せかけ」を冷静に見分けられるようになりました。仕事でも趣味でも、実際にその人が成し遂げた成果やスキルがわかりやすく可視化されることで、ハッタリは効力を失いつつあります。
実力重視の時代が来て助かった私の経験
実力が問われる時代が到来していることは、ある意味で私にとっての恩恵でした。もともと私はピアノや語学、演技など「実力が目に見える」分野に取り組んでいたため、実力なしにただ凄みを演出するだけではいざというとき仕事などに活かせない危うさがあることを昭和時代から痛感していました。そのおかげで他人のハッタリや演出に振り回されることなく、また「こういうハッタリをかませばその場はしのげるのか」と上っ面だけ学習したつもりでハリボテづくりに勤しむ他の人たちみたいにならずに済んだのです。
ただ、多数派がハッタリで世渡りするのが普通とされる時代はいわば愚直に実力を磨くだけの人は地味でイケてない扱い。現に、ある人の実力がハッタリだろうと本物だろうと全体としての体制には影響ない大企業などでは、まさに「うまくハッタリをかます」詐欺的な自己アピールがうまい人が出世できてしまったり。そうなると“割を食う”立ち位置になりそうで呆れた私は20代から会社に頼らず独立を目指し、30歳から実際に独立して生計を立ててきました。えぇ、実力が100%モノをいう境遇を選び取って。その経験が、勤め先企業のブランドイメージといった社会的な「見せかけ」の重要性を気にする必要がないという自信につながりました。とはいえとはいえ数年前までは、まだ世間全体でいえばハッタリがまだ幅を利かせていたため時と場合によっては「実力を気にする自分は損をしているのではないか」と感じることもありましたけれど。
しかし、最近では状況が一変しました。ハッタリだけで地位を築いた人々が、実力を問われる社会で苦戦している姿を見ると、私の取り組みは間違っていなかったと実感します。
「ハッタリでない実力で実のある実績を」という自分の信条を信じて努力を続けてきたことで、時代の移り変わりとともに「助かった」ほうなのではないかと思います。
未来に向けての教訓
私の経験から言えるのは、ハッタリでなく、実力に裏打ちされた自信を持つことがいかに大切かということです。社会がどのように変化しても、実力は失われず、むしろその価値を増していくものです。
現代の社会は、データや事実、目に見える結果で判断される時代になりました。逆に言えば、これまでのように「威張るだけ」で何とかなる余地は少なくなっています。今求められているのは、自分の実力を正しく磨き、評価してもらえる形で発信する力です。
まとめ:実力の土台を築こう
これからの時代、「凄み」を装う必要はありません。実力を持ち、それに基づいた自信を持つことが最強の武器です。どんな分野でも、磨いたスキルや実績が正当に評価される社会が広がりつつあります。
もし、これまで「キャラや雰囲気で勝負する」ことに頼ってきたなら、実力を高める努力を始めることをお勧めします。ファクトフルネスな社会は、公平でありながらシビアです。しかしその中で、自分らしい実力を発揮できる人こそ、これからの時代を自由に、そして豊かに生きていけるのではないでしょうか。