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コラム

消去法としての「上を目指す」——それが意外と正攻法?

停滞感と退屈の中で

ここ半年、特にこの数週間、どうにも八方塞がりのような感覚が続いていた。 しかし、実際には何かに阻まれているわけではなく、むしろ無双状態。今いる境遇の範疇でいえば、やれば勝てる、何をやっても成功する。けれど、それがつまらない。

落ち込んでいるわけでもなく、鬱っぽいわけでもない。ただ、こんな単調で勝ち続けるだけのゲームなら、生きている意味はあるのか?とさえ思えてしまった。

「カンスト状態」に気づく

内省を重ね、ヒーラーや知人に相談する中で、一つの答えに行き着いた。 それは「カンストしている」ということ。

ゲームでいう「カウントストップ」、つまりレベルを上げきってしまった状態。 今の環境ではすべてを制覇してしまい、挑戦する余地がない。 だからこそ、今の視点や土俵のままでは面白くないのは当然だった。

しかし、視点を上げればどうだろうか? より高みを目指せば、まだまだ挑戦すべき課題は無限にある。

アンチ「上を目指す」だった自分

私はこれまで、無意味に「上を目指す」風潮に違和感を抱いていた。

若い頃、実力が伴わないまま飛び級的に上を目指し、結果として痛い目を見た経験がある。 だからこそ、形骸化した向上心に対する反発があったのだ。

しかし、その反発が結果的に自分を停滞させていた。 「上を目指さない」という姿勢が、次のステップへ進むことを阻んでいたのだ。

もう、上を目指すしかない

そんな中で、ひとつの転機が訪れた。

受講を迷っていた高難度の講座。 金額的にも大きな出費だが、今の自分にとって、上へ繋がる現実的な挑戦はそこしかないと気づいた。

さらに、その講座は教育訓練給付金の対象だったため、ハローワークでキャリアコンサルティングを受ける必要があった。

「どうせ形だけの面談だろう」と思っていたのに、担当者が素晴らしい人で、気づけば自分の会社をどう成長させるかを理路整然と語っていた。

気づけば、語れるだけのものが自分の中にあった。

挑戦こそが生きる意味

正直、会社を成長させることは不安だし、楽ではない。

率先して「やりたいか?」と問われれば、やらない方が楽なのは間違いない。 それでも、挑戦しないまま生きることは、空虚で意味のない時間を過ごすことになるとわかった。

そして、上を目指す覚悟を決めた瞬間、不思議と清々しい気持ちになった。

まだまだやるべきことがある。 社会の一員として、人とつながり、何かしら利他的な方向で生きる。

上を目指すのは「意識の高さ」ではない

「上を目指す」というと、自己啓発的な意識の高さを思い浮かべがちだが、実はそうではない。

本当に上を目指すべきなのは、「それをしなければ人生が詰む」タイミングなのかもしれない。

ただ漠然と「上の方がいい」と考えるのではなく、選択肢がなくなったとき、やむを得ず進む道として上を選ぶ。

それは命綱であり、たとえ好きではなくても選ばざるを得ない「ハズレくじ」のようなもの。

しかし、そのハズレくじこそが、次のステージへの扉を開く鍵になるのかもしれない。

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