マイティピュリフィアでの癒しかた(総論)
どのエネルギー周波数帯・要因に基づく傷や穢れを癒すにせよ、マイティピュリフィアの使い方は基本的には同じです。
前のページで解説した「すべてが癒える場所」にまず、自分自身が行きます(可能な限り近づきます)。
そして対象となる人や事物、状況などを見ます。
現状ではどんな傷を負い、穢れを帯びているとしてもその現状に惑わされず、それが本来、癒えた在り方はどうかを見ます(←ここで1つ、癒し手の力量が問われます)。
そうすれば、現状と癒えた在り方とのギャップ・差分が、つまりは癒しうる・穢れを払拭しうる要素ということになりますね。
ある意味、マイティピュリフィア実践者が行う、祈りの形をとった癒しへの関わり方はこれがすべてです。
が、言うまでもなく、「ただそれだけ」の営みの結果には、使い手の力量によって大きな差が生まれてきます。
ヴァイオリンや自転車(一輪車の方が難易度が高いでしょうか)を想像してください。
最初はうまくできません。
では、初めてちょっとやっただけでうまくできないからといって
「この楽器は役に立たない」
「こんなのは乗り物じゃない」
と言う人を見たらどう思いますか。
悪いのは、誰にでもすぐ使えるようになっていない楽器や乗り物の方でしょうか。
つまりはそういうことです。