1. 50歳が近づく不安と現実
50歳という節目が近づき、ふとこれからの人生を考える。サラリーマンでいた方が安定していたかもしれないと考えつつも、現実問題として定年後の年金暮らしは厳しく、どのみち何らかの収入源を確保しなければならない。そう考えると、自営業だからといって特別不利というわけでもない。
「結局、これまでが多少以上に有利だったとしても不利だったとしても、これからも相変わらずやるしかない」——そう腹を括るしかないのだ。
2. 「もう歳だ」と言い訳することの危うさ
同年代が「もう歳だから」と口を揃えて言うようになった。それが本心なのか、ただの言い訳なのかは人それぞれだが、「仕方ない」と諦めることが許される時代なのか?
確かに歳を重ねると若い頃のようには動けなくなる部分もある。しかし、社会制度や経済の現状を考えれば、「仕方ない」と流してしまうことが、逆に自分の首を絞めることになるのではないか。
3. 「歳だから何もできない」のリスクを考える
年齢が上がるにつれ、仕事の選択肢は減る。だからといって生活保護を受けるとなると資産を自由に持てず、年金だけに頼るとなれば極端な節約生活を強いられる。そんな代償を強いられる「歳だから何もできない」を正当化してどうするのか。
身体や精神に大きな問題があるなら別だが、ある程度には健康であるならば「歳をとった」という理由だけで動かなくなるのを仕方ないと開き直るのは、単なる自己弁護に過ぎない。
それに、私はといえばまだ40代後半。60代以上で肉体労働をしている人も多い中で、「もう歳だ」と言っている自分の同年代たちが贅沢に思えてくる。
4. 「実力主義」の時代に生きるということ
かつては、会社に勤めてさえいれば定年まで安泰だった。しかし今は違う。サラリーマンであっても、スキルがなければ淘汰される時代。「実力がすべて」という現実が、これほどまでに突きつけられる時代が戦後にあっただろうか。
会社の仕組みに守られながら仕事をしている人は、そのリスクを実感しづらいかもしれない。しかし、どのみち「人生100年時代」において、会社の安定だけを当てにすることはできない。リスクを直視し、対策を考えている自分の方が、実は恵まれているのかもしれない。
5. 続けることの難しさと、組織の壁
20年近く個人事業主として生きてきた。零細企業レベルとはいえ株式会社を5年以上経営して利益も出し続けている。その意味では、会社の看板なしで自分ひとりの実力なりブランド?なりで食っていけるほど稼げるかを心配する会社員経験しかない人たちと比べたら、猛者(もさ)い方なのかもしれない。
とはいえ、それでも人生100年時代にこの調子で?さらに勢いを増して?余裕綽々で生きていける自信はさすがにない。
それに私の場合、個人で仕事をするスタイルが得意というか「それしかできない」に近く、会社で管理職経験を積まなかったこともあって後天的に組織を動かす能力を培うこともできていない。
その意味では、歳のわりに組織を動かす力が育っていない弱みがあると感じている。
ここから先、どんどん老いる自分の個人力が頼みにならなくなっていくとすれば組織を作って他人の力をうまく借りて利用する仕組みでカバーするのはいわば王道だろう。
ただ、言うは易しで、一匹狼気質なうえにその気質どおりの一人上手を長く続けてしまった私のような人間にとって、そこに踏み出すのは容易ではないと感じている。
50歳を目前にして、個人から組織へ人生の動き方(というか、動かし方)をシフトするプレッシャーは大きい。けれど、やらなければ、不安定なまま個人でいつまでもその日暮らしならぬ「その瞬間暮らし」の連続を延々と続けるしかない。
かといって組織を作って動かすとなれば、当然ながら大きな責任と戦わなければならない。それを乗り越えてこそ、乗り越えたなりの恩恵を得られることもあるのだろう。実にこの世界はよくできている。
6. 逃げ道なく頑張るしかないなら、前向きに
となれば選択肢は二つ。
- 逃げ道なく、実績を出し続ける。
- 何もしないで、リスクと不安に怯える。
どちらが良いかは明白だ。逃げられないのなら、前向きに頑張った方がいい。
7. 同級生たちのことを思い、今日を生きる
時折考える。同い年で先に亡くなった人たちのことを。彼らはこの日を生きることはなかった。
「彼らの分まで頑張る」と言うのはかっこつけすぎかもしれないが、結局のところ、生きている間は生きるしかない。無理なら、そのときは自分が彼らの元へ行けばいいだけの話だ。
だからこそ、今日もこの難易度の高い人生ゲームに挑むしかないのだ。