エンパスとは、他人の気持ちや感情が自分に伝わってくる超感覚の一種です。たとえば、電車で隣に座った人の不安や痛みを「もらってしまう」ような状態です。一見、特殊な能力のようにも思えますが、実際にはコントロールが難しく、苦しむ人も少なくありません。
この記事では、エンパス体質とは真逆の「他人の感じていることが伝わってこない」Notエンパス体質を通じて私がどのように成長し、最終的に安心して他人とつながる喜びを得られるようになったかを振り返ります。
他人の感情がわからなかった過去
私の場合、エンパスどころか他人の感情や気持ちを「感じられない」と思う時期がありました。学園祭や飲み会などの「みんなで盛り上がる」一体感を感じられず、孤独を覚えることもありました。「みんな」が欲しがるもの……お金や車、豪華な生活にも興味がなく、周囲からは変人扱いされることも少なくありませんでした。
しかし、スピリチュアルヒーリングを学び始めて、私が他人と違う感性を持つ理由に気づきます。それは、エネルギーの観点から「大勢が誤った方向に進むときに、正しい道を保つ役目を担う」という使命感があるからだと。
他人のネガティブ感情をエンパスしても無影響でいられる免疫獲得
それから私は、持って生まれた数奇な感性を受け入れると共に、もしこれ以上自分がそうした使命感に過剰に没頭して憂き目を見つづける状態を続ける必要がないのであれば……と、スピリチュアルヒーリングの訓練を通じて、他人と感情を共有してもネガティブな影響を受けない「免疫」を獲得しました。例えるなら、風邪を引いている人と接しても自分は感染しないような状態です。これにより、他人の気持ちに寄り添いながらも、自分を守ることができるようになりました。
そして時と場合に応じて、大勢に流されないようNotエンパスのバリアを張って自分らしさを失わずにいたり、あるいは逆に心の壁を取っ払ってみんなと一体感を味わって楽しんだり盛り上がったり、あるいは集合的な悲しみを共に味わうといった「人間らしい」あり方を選び取ることができるようになっていきました。
(これは本当にこの人生で自分が努力して獲得した資質として大きな成果だと思います)
つまり、この免疫を身につけてからは、相手と感情やエネルギーを交流させても安心していられるようになり、初めて「みんな」との一体感を楽しめるようになれたのです。
孤高でいることの意味
振り返ると、「みんなと違う」という孤独感も悪いことばかりではありませんでした。私は就職氷河期と呼ばれる厳しい時代を経験しましたが、特有の感性のおかげでその時代のネガティブな影響をほとんど受けませんでした。他人と違う視点を持つことで、集合的な苦しみから距離を置けたのです。
時代のせいにしたり、他人と自分を比較して悲観したりするのではなく、「私だけの人生」としてすべてを受け入れ、楽しむことができました。
私だけの人生を楽しむ
いま私は、自分の「数奇かもしれない」感覚を持っていた若い時分を含め、この人生の全てを肯定できるようになってきています。誰かと比べるのではなく、自分なりの幸せを見つけることに価値を感じています。そして、生きることそのものが、私だけのユニークな旅だと実感しています。
おわりに
エンパスにせよNotエンパスにせよ、いわゆる多数派のみんなとは異なる属性を持って生きることは決して簡単ではない局面もあるかもしれませんが、少なくとも私の場合は訓練や意識の変化を通じて、他人とつながる喜びと安心感を得ることができました。
だから……で繋いでしまうと、もっと大変などこかの誰かの事情をわかってないからそんなことが無責任に言えるのだと言われてしまいそうですが、それでもあえて豪語させてもらうなら。
誰もが自分だけの人生を楽しみ、自分の感性を大切にしてほしいと思います。それこそが、真の幸せを見つける鍵ではないでしょうか。