はじめに:知識が増えると感動は減るのか?
音楽を深く学ぶことは素晴らしいことです。しかし、詳しくなることで、以前のように無邪気に感動できなくなったと感じたことはありませんか?
かつては、ただ「美しい」と思って涙した曲が、今では「このコード進行は…」「この楽器の使い方は…」と分析的に聴いてしまう。
それはまるで、魔法が解けてしまったような感覚です。
この記事では、知識が増えることで感動が変質するという現象について考えます。これは音楽だけでなく、スピリチュアル、仕事、趣味など、さまざまな分野にも当てはまる話かもしれません。
1. 音楽を「感じる」から「分析する」へ
昔は、ただ音楽を聴くだけで感動し、辛い日々を乗り越える力になっていました。
しかし、音楽理論を学んだ今、無意識に曲の構造を分析してしまい、純粋に心を動かされることが少なくなってしまった。
これは「作能(左脳的思考)」の働きが強くなり、感性(右脳的思考)だけで音楽を楽しむことが難しくなったからかもしれません。
もちろん、知識を得たことでより深く音楽を理解できるようになったのも事実ですが、その一方で「ただ聴くだけで感動する魔法」は解けてしまいました。
2. 「夢が現実になる」ときの喪失感
これは音楽に限らず、あらゆる分野で起こりうることです。
- スピリチュアルな体験:かつて神秘的に感じていたものが、知識を得ることで「こういうメカニズムか」と理屈で理解できてしまう。
- 仕事のスキルアップ:初心者の頃は「すごい!」と思っていた技術が、自分でできるようになると当たり前になり、感動が薄れてしまう。
- 趣味の探求:例えばワインやコーヒーを学ぶと、単純に「美味しい!」と楽しんでいた頃の純粋な喜びが薄れ、「この品種は…」「この焙煎度は…」と分析的になってしまう。
「何かを知る」ということは、新しい視点を得ると同時に、それまでの視点を失うことでもあります。
いわば「夢を見ていた世界」から「現実を作り出す世界」へ移行するプロセスなのかもしれません。
3. 知識と感動を両立させるために
では、知識を得ても感動を失わないためにはどうすればいいのでしょうか?
① 素人の視点を忘れない
どんなに詳しくなっても、「初めて触れたときの気持ち」を意識的に思い出すこと。
時には「分析しないこと」を意識してみるのも大切です。
② 知識の「使い方」を変える
知識は感動を奪うだけでなく、新たな楽しみ方をもたらすこともあります。
例えば、音楽を分析的に聴くのではなく、自分で作ってみることで、また違った形で音楽の魅力を感じられるかもしれません。
③ まだ知らない世界に飛び込む
もし今の分野で感動が薄れてしまったのなら、全く知らないジャンルに触れてみるのも一つの方法です。
例えば、クラシックに詳しくなったのなら、ジャズや民族音楽を聴いてみる。
あるいは、音楽以外の芸術(絵画、映画、文学など)に目を向けることで、新しい感動の種を見つけることができるかもしれません。
おわりに:夢を見続けるか、現実を生きるか
夢見心地で感動していた世界から、現実を理解し、作り出す世界へ。
それは成長とも言えますが、時には喪失感を伴うものでもあります。
40代、50代、60代になっても「夢を見ていられる人」と、「現実を冷静に分析する人」では世界の見え方が違うでしょう。
知識を深めつつ、感動を失わないためには、時には「何も考えずに感じること」を意識することが大切かもしれません。
あなたは、夢を見る子供でいたいですか?
それとも、現実を作り動かす大人になりたいですか?
その答えを見つけるのは、自分自身なのかもしれません。