世間一般の「普通」に適応することが、果たして本当に自分にとっての最適解なのか?
長年、そう問い続け、ある程度の答えを得てきた。
自分が普通に適応できるかどうかを確かめるために、意図的に「普通」に寄せた生き方も試してみた。
結果として、「普通の社会に溶け込む能力がないわけではない」ことは確認できた。
でも、それで満足できるかといえば話は別だ。
実際にやってみると、「普通に適応する」ことはある程度の器用さがあればできるし、そこで得られる安定や居心地の良さもわかる。
ただ、それと引き換えに 何かを失っている という実感がある。
「普通であること」は、 自分を停滞させる危険な安定 なのかもしれない。
だからこそ、ここから先をどうするかを考えなくてはいけない。
「普通」に留まらないための選択肢
「普通に適応できる能力がある」とわかった今、取れる選択肢はいくつかある。
① 意図的に孤独を選ぶ
「普通でいられる環境」に長くいればいるほど、人間はその枠に馴染んでしまう。
だから、あえて「普通でない人間」しかいない環境を作る というのは、ひとつの有効な手だ。
・自分よりも圧倒的に上の人間としか関わらない
・価値観の異なる人間との接触を減らす
・社会の「普通」に影響される場に身を置かない
普通の世界に引きずり込まれるリスクを断ち切るため、環境そのものを変えてしまう。
② 「普通でいること」をデメリットにする
人は、楽な方に流れる。
だから、「普通でいること」が快適である限り、人は普通の枠から抜け出せない。
・普通にとどまることが、損失につながる仕組みを作る
・「普通に適応すると、得られないもの」があることを明確にする
・自分の成長のために、「普通でいる」ことを罰則化する
普通でいることが苦痛になれば、必然的に普通ではいられなくなる。
③ 「普通の限界」を破壊し続ける
普通の世界の中にいると、普通の価値観に影響される。
だから、意図的に「普通」を超え続ける仕組みを持つ ことが必要だ。
・定期的に自分の「普通」をアップデートする
・常に新しい挑戦を持ち続ける
・「1年後の自分が、今の自分を見て退屈だと思う状態」を避ける
普通に馴染むのではなく、普通の枠を壊し続ける。
④ 普通の報酬を切り捨てる
「普通でいること」の最大の誘惑は、それがそれなりの安心や安定をくれることだ。
でも、その報酬を魅力的に感じなくなれば、普通でいる理由もなくなる。
・普通の暮らし、普通の人間関係、普通の安定を求めない
・「普通の人生で得られるもの」を不要とする
・「普通に収まらなかったときに得られるもの」に意識を向ける
普通の報酬を拒否すれば、普通に戻る理由も消える。
どの道を選ぶのか?
これらの選択肢のうち、どれを取るかは まだ決めていない。
ただ、ひとつだけ確実に言えるのは、もう「普通」に迎合できているかどうかを確認する段階ではない ということだ。
今までは、「普通であることを確認する」フェーズだった。
・自分が社会不適合なのではないか?
・普通の生き方ができないのではないか?
・適応できないのは、自分の能力が足りないからではないか?
そんな疑問を検証するために、あえて普通に寄せた生き方も試してきた。
でも、その答えはもう出ている。
「普通に適応できるか?」は、もう問題ではない。
問題は、「普通に適応した先に、何があるのか?」 だ。
そして、その答えは、もうわかっている。
普通に適応しても、そこに 自分が求めるものはない。
「普通に溶け込むことができるか?」を確かめるための時間は、もう必要ない。
ここから先は、「普通を超えて何を得るのか?」のフェーズに進む。
そのために、どの選択肢を取るのか。
それは、これから決める。
でも、ひとつだけ確実に言えることがある。
「普通の中で、ただ適応できるかどうかを確認する人生」には、もう興味がない。
次のフェーズに進む時が来た。