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コラム

「世界を変えたかった私が、ようやく自分を生きると決めた話」

昭和に生まれた私は、「こうあるべき」という固定観念 の中で育った。

男はこう。
社会人はこう。
成功とはこう。

当時、男性が使う手帳やベルトは黒か茶色しかなかった。
カラフルなもの、キャラクターのイラストがついたものを持つなんて、「男のくせに」と言われるのが当たり前だった。

社会人の生き方にしても、会社に勤めるのが「まとも」で、そうでない人は「ろくでもない」と見なされていた。
あまりにも決めつけが強すぎた。

私は、そんな世界が嫌だった。

「何でそんなに視野が狭いんだ?」
「もっと自由に生きてもいいはずなのに」

そう思いながらも、ただ息苦しさを感じるだけでなく、どこか第三者的な目線で、人々の価値観の狭さを嘆いていた。
まるで神様にでもなったつもりで——。

私が目指したのは、多様性の「存在」を知ってもらうこと

私は、人々に「そうじゃない生き方もあるんだよ」と気づいてほしかった。

そのために、エネルギーワークを通じて世界を変えようと試みた。
妄想のように聞こえるかもしれないが、振り返ってみると、思った以上にうまくいったと感じている。

今では、男の人がカラフルなものを持つことは普通になり、可愛いものを好きでも変に思われなくなった。
LGBTQについても、理解が深まったかどうかは別として、「そういう考えの人がいる」と認識されるようになった。
会社に勤めるのが正解という価値観も崩れ、むしろ今では「会社員だけではダメ」「複数の収入源を持つのが当たり前」とさえ言われるようになった。

私はこの変化を見て、「ある意味、成功した」 と思った。
でも、同時に気づいた。

私は何をしていたのか?
私自身が会社に適応できなかったから、会社勤めを否定したかったわけではない。
私自身がLGBTQの属性だから、LGBTQを理解してほしいと思ったわけでもない。

私は、どこまでも「第三者視点」だった。
ただ、「こんな生き方もある」「こういう考え方もある」と、代弁者のように発信してきただけ。

しかし、ふと気づいたのだ。

「私自身は、一体何者なのか?」

私は、人々の価値観を広げたかった。
でも、それは私自身のためではなかった。
私はただ、いろんな可能性を示すことに夢中になっていただけだった。

私は、私を生きる。
だから、次のフェーズに進もうと思う。

これまでの私は、「人々に気づいてほしい」 という想いで動いていた。
けれど、これからは、「私自身がどう生きるのか」 を大事にしたい。

50歳を目前にして、ようやく私は気づいた。
「私は何者なのか?」
「私は何を大切にして生きるのか?」

今さらかもしれない。
でも、ここからが私の本当の人生なのだと思う。

こんな自分語りを読まされた人からしたら「だから何?」で終わりかもしれない。
それでも、これは私にとっての節目だ。

私は、これからの人生を、「誰かのため」ではなく、「私のため」に生きていく。

そう宣言してみることにした次第です。

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