インターネット時代に求められるファクトフルネス
インターネットの普及により、かつては隠されていた事実が次々と明らかになっています。以前は表に出なかった情報や意図的に隠された真実が、今では簡単にアクセス可能になりました。そのため、権力者や政策立案者が慌てて規制を試みたり、ディープフェイクや陰謀論として片付けようとする場面も見られます。しかし、そうした対応自体が後に誤りだったと証明されることも少なくありません。
今の時代において最も重要なのは「ファクト」、つまり事実です。ハンス・ロスリングの提唱した「ファクトフルネス」—事実に基づいて物事を判断し、生きること—がこれまで以上に求められています。
個人の生活におけるファクトフルネス
私が伝えたいのは、政治や世界情勢に関する陰謀論ではなく、もっと身近な日常生活における「ファクトフルネス」の実践です。
例えば睡眠時間。一般的には「8時間睡眠が理想」と言われていますが、私自身の経験では5時間睡眠で十分に機能することがわかりました。逆に8時間眠ると寝過ぎによる疲労感が残るのです。これが私にとっての「事実」です。
また、体重や体脂肪率についても、従来は「痩せていることが健康的」とされてきましたが、最近の研究では、やや太り気味とされるBMI範囲の人々が実は健康寿命が長いというデータも出ています。
数字を使った自己管理の価値
こうした数値を通じて自分自身の体調や生活習慣を客観的に把握することが大切です。統計や平均値を盲信するのではなく、それを「他者の集合データ」として理解しつつ、最終的には自分の実感値を優先させるべきです。
ファクトフルネスとは、単に事実を受け入れるだけでなく、その事実が自分にどう関連するかを検証するプロセスでもあります。一般的な基準から外れていても、自分の体や心と対話した結果として納得できるなら、それが最適な選択肢なのです。
数学が必要な時代へ
私たちが日常的に使うスマートフォンもパソコンも、本質的には数字の集合体です。全てのデジタル情報は0と1の二進数で表現されており、否応なく私たちはデータを扱う時代に生きています。こう考えると、数学の理解は現代人にとって不可欠なスキルだと言えるでしょう。
振り返れば、私は高校で私立文系コースに進んだため「数学は不要」という扱いを受け、微積分や行列をきちんと学びませんでした。
小中学校の基礎知識さえ曖昧で、三平方の定理すら記憶から消えています。
中学生や高校生の時点で、当時小学生だった弟妹の宿題を見てもちんぷんかんぷんだった記憶があります。
こんな状態で、データによるファクトフルネスが重要視される時代を生き抜くことができるのでしょうか?
この危機感から、私は数年前から数学の再学習を始めました。
数学再学習への道
最初は子ども向けの参考書や学習アプリで小中高の算数と数学を復習していましたが、内容が生ぬるかったり、逆に難関中学入試問題になると極端に難しすぎたりと、バランスの悪さに悩まされました。
そこで思い切って、早稲田大学が主催する社会人向けの「早稲田NEO」のデータサイエンス実践講座に参加することにしました。統計に必要な範囲を中心に、高校から大学レベルの数学がテンポよく進められる内容です。毎回の授業では新しい概念がどんどん導入され、ハイペースでの学習が求められます。
正直、大変です。しかし、このハードルの高さが逆に私の油断を許さず、集中して学ぶ原動力となっています。さらに、高校数学の基礎が怪しい人向けのオンライン動画講義も併用し、着実に理解を深めています。
数学再履修がもたらした変化
超高速でハイレベルな数学を学ぶ環境に身を置いたことで、生来の「手を抜きたい」という性向を発揮する余裕もなく、効率的に数学を再履修することができています。さらに、数式をPythonなどのプログラミング言語で表現するスキルも身につけ、キャリアの幅も広がりました。
数学自体の習熟度はまだ発展途上ですが、統計などで使われる数字が実際に何を表しているのか(そして何を表していないのか)を概念として理解できたことの恩恵は計り知れません。データを読み解く視点が養われ、日常の意思決定にも変化が現れています。
私の場合は少し極端な例かもしれませんが、「数学が苦手」と言いながら漫然と生きていくスタンスが、これからのデータ中心の時代に通用するかどうかは疑問です。もちろん、数学が得意でなくても幸せに豊かに生きられる道はあるでしょう。しかし、自分自身のデータを理解し、世の中の「ファクト」を見極める力は、これからの時代を自分らしく生きるための強力な武器になるはずです。