昔と今の習い事の違い
時代の変化により、習い事に対するスタンスは大きく変わりました。昔は先生の言うことに絶対服従で、たとえばピアノなら「バイエル」をひたすら弾くのが当たり前でした。しかし、21世紀になった今では、何かを習い始めようとすると「なぜ学ぶのか?」と問われるようになりました。
大人の習い事は特にこの傾向が強く、先生側も生徒のモチベーションを探りながらレッスンを組み立てます。なぜなら、子供と違って大人の習い事は多くの場合マイブームに過ぎず、つまらないとすぐにやめてしまうからです。先生たちは「続く人なのか」を見極めるために、生徒の動機を探ろうとします。
本気の学びと自己満足の違い
私自身も「本気だからみっちりやってくれ」というスタンスで習い事をすることがあります。しかし、それも結局は「先生に甘く見られたくない」という意地によるもの。子供がプロを目指して死に物狂いでレッスンするのとは熱量が違います。
特に英語の学習について考えると、その違いは顕著です。語学を学ぶなら、明確な目標があるほうが成功しやすい。しかし、私には英語を学ぶ切迫した動機がなく、「頑張っている自分を確認する」という自己満足に近いものだったため、投資した時間やお金の割には成果が出ませんでした。
スピリチュアルヒーリングにおける学びの動機
この「動機の不在」は、私の本業であるスピリチュアルヒーリングを学ぶ生徒にも当てはまります。以前は、霊能力を身につけてプロになろうとする人がいましたが、今はそこまでの大志を抱く人が少なくなっています。スピリチュアルに対する世間の目が厳しくなり、「詐欺だ」と決めつける風潮も影響しているでしょう。
また、生徒の中には「人生がうまくいかないから最後の賭けとしてスピリチュアルにすがる」「楽そうなイメージに引き寄せられた」という動機の人もいます。残念ながら、そのような曖昧な動機では、学びの成果は出にくいのが現実です。
明確な目標がなければ学びは続かない
私はモチベーション重視ではなく、ディシプリン(規律)を大切にするタイプですが、学ぶ動機がしっかりしていないと成果が出ないことは認めざるを得ません。単なる「やる気」だけでは、学びは暇つぶしに変わってしまうのです。
例えば、「来年度の大学院進学のためにTOEFL80点以上を取る」といった具体的な目標と期日があると、努力の方向性が明確になり、継続しやすくなります。しかし、漠然と「英語が話せるようになりたい」という気持ちだけでは、結局は自己満足に終わる可能性が高いのです。
結論:学びには明確な動機が必要
何かを学ぶとき、単なる「頑張っている自分を確認するため」ではなく、明確な動機を持つことが重要です。特に大人の学びは、時間やお金を投資することになるので、目標設定が曖昧では効率が悪くなります。
学ぶ前に「なぜそれを学ぶのか?」を自問し、具体的な目標を設定することが、充実した学びを実現するための鍵となるでしょう。