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コラム

新人研修に学ぶ、大人のための“わざとらしい習慣”の驚くべき効用

学校みたいで意味あるの?と思っていた日報が、人生を変えた話

新人研修は「業務」だけど、実質は“学校の延長”

最近、私は会社で新人研修の講師をしています。
研修に参加する新入社員たちには、「これは業務なんだよ、学校とは違うんだよ」と何度も念を押していますが、実のところ、研修の中でやっていることは“学校の延長”のように感じることが多々あります。

たとえば毎日、業務終了前に30分間、日報を書く時間がしっかり確保されていたり。
「そんなに書くことある?」と思ってしまうのですが、不慣れな新人たちはそれでも時間が足りなくなるほど、四苦八苦しています。

ただ、講師である私自身もそんな彼らの姿を見ながら、ふと考えたのです。
この“わざとらしくかっちりした習慣”、実は新人じゃなくても役に立つのでは?


バレットジャーナルとモーニングノートが刺さった

そんなことを思っていたある日、YouTubeで

を見て、「これだ」とピンときました。さらに、

『ずっとやりたかったことを、やりなさい』(ジュリア・キャメロン著)

で紹介されていた「モーニング・ノート」も取り入れてみることに。
1日のはじまりと終わり、それぞれ15分ほど時間をとり、その日のタスクや目標、気分やモチベーション、そして1日の振り返りを集中して行うというルーティンを自分に課してみました。


書くことより、どう書くか・どう考えるかが大事だった

もちろん、ノートや手帳に何を書くかよりも重要なのは、「書くときの集中度」や「思考の解像度」。
私はちょうど研修講師として、「効果的な書き方」や「PDCAを回すコツ」などを教える立場だったこともあり、その知見をフル活用して自分にも適用。
あえてポイントを言うなら、予定などタスク類を機械的に書くというよりは、どんな気持ちで生きるか、その予定をこなすか。
書き込む際に、この予定をこなすこと(の積み重ね)が、どれだけ自分の理想の人生を生きることに直結しているかをイメージしてワクワク興奮してくることが最重要。
(そうなると、そもそも『理想の人生って何?』という点をある程度、自覚しておくことが前提になるともいえますが←それがわからないまま日々を漫然と生きているとしたら、そりゃあ何をどうやっても幸せな充実感、手応えはそんなには無くて当然ですわなぁ)

すると、びっくりするほどの効果があったのです。
これまでにもフランクリン・プランナーなど、手帳術やジャーナリングには色々手を出してきましたが、どれも中途半端に終わってしまっていた私。
でも今回、自分の姿勢と本気度が違っていたことが大きかったのだと思います。


いいかげんに生きるのがバカらしくなったから

ここ最近、「もう、いいかげんに生きるのやめよう」と覚悟を決める出来事がいくつかありました。
その覚悟があったからこそ、今回のジャーナリングに真剣に取り組めたのだと感じています。

そして再確認したのは、「形式やツールが大事なのではない」ということ。
どんな手帳を使うか、どんなメソッドを使うかよりも、どれだけ真剣に向き合うか、思考を現実の行動につなげられるかがすべてだったのです。


わざとらしい儀式こそ、大人にこそ必要だった

大人になると、研修でもない限り、1日ごとに「今日はどう生きるか」「どう生きたか」なんて振り返ることはまずしなくなります。
私もずっとそうでした。

でも、そんな私でも変われた。
朝と夜、わずか15分ずつでも、手帳やノートに向き合って思考を言語化する時間を持つだけで、日中の行動の質と量が激変したのです。
そして何より、生きていて充実感があるし、楽しい!


教育や研修の形式に、意外な価値があるかもしれない

学校教育や新人研修を批判する声はよく耳にしますが、それも「部分的には」かもしれません。
少なくとも、私にとっては新人研修でやっているような“毎日日報を書く”という儀式的な習慣が、人生の質を上げるライフハックになるとは思ってもみませんでした。


最後に:儀式を、ただの“ルール”で終わらせない

結局のところ、形式やルールは「やらされるもの」ではなく、自分の人生をより良くするためのツールとして使えるかどうかが鍵。

「やらされ感」を持たず、
「自分の時間を密度の高い、充実したものにするためのサポート」として習慣を取り入れてみる。

そんなふうに意識を変えるだけで、日々の充実感はまったく違ってくると、今は実感しています。

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