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コラム

がんばりすぎる自分をゆるめたいのに、結局がんばらないと健康を維持できない話

無駄に高い意識に振り回されないために、ゆるく生きよう…とした結果

小学校2年生のとき、鉛筆を握る手に力を入れすぎて腕全体が筋肉痛になり、泣きながら整骨院に通った。
あの頃から、私は「がんばりすぎる」という特性を持っていたらしい。

けれど、そんな努力?の割には成果が振るわないことも多かった。
もっとスマートにこなす同級生や同僚に、成績や結果で負けてしまう。
「こんなに頑張ってるのに…」と、悔しさと疲労だけが積み重なることもあった。
(とりわけ会社となると、実力や努力がどうのこうのという以前に入った会社で規定された給与テーブルと査定の基準次第!)

そして、ついに成人してからは、無理がたたって体を壊した。
「これはさすがに反省しないとダメだ」と思い、会社員を辞め、フリーランスになった後では生活をあらためた。
せっかくの自由だ、のんびり生きよう!
……そう意気込んだものの、今度は運動不足に陥り、血液検査の結果が悪化。
忙しくて体調を崩した会社員時代よりも、むしろ不健康になっていることに気づいた。

結局、人間には「適度な負荷」が必要らしい

そこから試行錯誤を始めた。
食生活や運動習慣を見直し、血液検査の数値をチェックしながら、自分にとって最適な生活強度を探ることにした。

すると、驚くべき結論に至る。
「けっこう大変なスケジュールと負荷をかけるくらいが、いちばん健康」
運動もそこそこ、食事管理もゆるく…なんてしていたら、すぐに体調は悪くなる。
疲れるほどの負荷を日々こなしてこそ、健康が維持されるのだ。

正直、皮肉な話だと思った。
せっかく「頑張りすぎる自分」を緩めようとしたのに、結局また頑張らないといけないなんて。
しかも「適度な負荷」ではなく、「しんどい」と感じるレベルの負荷が必要だとは。

じゃあ、なんのために健康を維持するのか?

ただでさえ、「なんでこんなに努力しなきゃいけないんだ」と思うのに、さらに厄介な問題がある。
それは、中高年になると「そもそも、健康を維持する意味ってなんだろう?」という疑問が生まれることだ。

20代や30代なら「未来のために健康でいたい」と思える。
けれど、40代、50代、60代と年を重ねると、未来よりも「やがて訪れる死」のほうが近く感じるようになる。
そうなると、「どうせ死ぬのに、大変な思いをしてまで健康を維持する意味って?」と、ニヒルな考えが浮かぶこともある。

でも、それに負けたら、本当にただ衰えていくだけだ。
だからこそ、人生の意義や、自分なりの目標を見つけ続ける必要があるのかもしれない。
「どうせ死ぬけど、それでも健康を維持して生きていきたい」と思えるような、生きがいを。

「ゆるく生きる」と「頑張る」のバランスを探していく

今のところ、私の結論は「健康でいるには頑張るしかない」だ。
ただし、そこに「がむしゃらに頑張る」のではなく、「うまく頑張る」ことを意識したい。
何のために頑張るのか? どのくらい頑張るのか? どこまでなら楽しめるのか?
これからも、そんな問いを繰り返しながら、自分なりの最適解を探していきたい。

もしかしたら、「健康のために頑張る」よりも、
「楽しんで生きるために、その結果として健康を維持する」ほうがいいのかもしれない。

健康を目的ではなく、手段にすること。
それが、「がんばりすぎる自分」と「ゆるく生きたい自分」を両立させるカギなのかもしれない。

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