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コラム

「なぜ教祖ビジネスで大物になろうとしないんですか?」

ブログ記事の要約:

筆者は、ヒーリングセミナーで「教祖ビジネスで大成できる資質があるのに、なぜ活かさないのか」と指摘される。宗教の教祖モデルには否定的だが、そのエネルギー的資質を社会に貢献できる形で発揮したいと考え、自分の在り方や影響力の模索を決意した。

**筆者の感慨:**
・ 教祖ビジネスの一般的な形に違和感があり、信者たちの自主性を損なう旧来の宗教のあり方は再現したくない。
・ 旧来の教祖ビジネスを進化させた社会や人類の成長に役立つ形で、自分の能力を開花させる方法を模索する気持ちの芽生え。
・ 納得のいく教祖ビジネスの進化形を通じての新たな成功の可能性について前向きに考え始めた。

現在、受講中のヒーリングセミナーで、受講生同士でエネルギー状態を観てコメントするという実習をしたときのこと。

タイトルどおりのことを相手から言われました。

「あなたのエネルギー状態は生き仏のようで、とても生身の人間とは思えない。もし新興宗教を立ち上げて全力を出したら、いま有名とされる新興宗教の教祖たちと並ぶかそれ以上のすごいことができるのに、なぜそれをしようとしないのか不思議でならない」

と。

続けて

「あなたは『教祖ビジネスでいう教祖にだけは、なんとしてもならない!』という強い意志で、自分の中の教祖たるにふさわしいエネルギーを思い切り抑圧して小さく縮こまっているように観える。それはもったいないんじゃないですか?教祖ビジネスで成功することの何がいけないと思っているんですか?」

とも。

私はこれまでの惰性的な習慣で、
「あー、それはちょっと(というか絶対に)パス」
という仕草で首を横に振ってしまったのですが、「どうして教祖ビジネスはいけないのか」という言葉にちゃんとした答えを持っていないな、とも思いました。

要するに、「なぜ教祖ビジネスはいけないのか」というテーマについて解像度を高くして考えたことがなかったのです。

とはいえ、まったく何も考えたことがないわけではありません。
それこそ、地下鉄云々の事件を起こしたとされる(☜もはやこれすら真偽のほどは怪しいみたいですが)某新興宗教のイメージで安直に
「新興宗教はNG」→「そんなNGな新興宗教を創るきっかけとしての教祖は諸悪の根源」
と思ってるだけというのは、ちょっと浅はかすぎるともいえるのでは……と。

あえて、もう少し自分の考えをちゃんと入れると、私のスタンスとしては
「ある教義を教祖がもたらし、それを戒律として盲目的に信者たちが従うという図式は、信者1人1人の自主性やその人ならではの独自性etcを画一的に塗りつぶしてしまうからNG」
というようなものがあるにはあります。
実際、何が正解か一生わからないという不安を抱えながら自分なりに自分の生き方を選んでいくということからの逃避願望を全開にして「どうすればいいんですか」と正解を求めて誰かに依存しようとする、いわば魂の堕落へつながる危険な動機でスピリチュアルを学びにくる人たちに遭遇してドン引きしましたし。
宗教じゃなくスピリチュアルなのに、宗教に帰依するスタンスでスピリチュアルに来てしまう香ばしい人たちが(こんなに)いるのか、と。
だったら自分はなおのこと、宗教だけは絶対にやるわけねーだろ、と。

逆に言えばそこどまり。
それ以上あえて考えてみるということをしてきませんでした。

で、だからといって
「もし教祖ビジネスをやれば大成功できるなら、成功したいんで、やりまぁ〜す」
と思うようになったわけでもないんですが。

既存の、嫌だなまずいなと感じるところがある宗教のあり方や、そうした団体を創始する教祖というカタチありきで自分の能力をそのカタチに注ぎ込んで成功を狙うかどうか、ではなく。

「あえて言うならいわゆる教祖ビジネスのようななにかしらのあり方で大成できる、とするならば具体的にそれはどんなものか」

を、まっさらなところから納得のいくように形作っていくことには意義があるのでは、と思えた次第です。

やはり、どんな屁理屈をこねようと、旧来型の、尊師とされるような教祖という偉い人の言うことに、教祖ほどすごくない「(目)下」としての信者が追従するという人間関係のカタチは、古いし、今これからの時代に人間が進化・成長していく(ことで社会全体、世界全体をもバージョンアップさせていく)上では有効でないと思います。

ただ、これまでどおりの教祖ビジネスのカタチしかないわけでもなさそうだ、とも思います。
じゃあ、それはどんなものか。

今はまだ全然イメージ浮かんでないし、いわゆる一般社会にとっての脅威・反社会的勢力となるような有様だと全然ダメだよねという良識はあいかわらず働かせつつも、それでもなんかあるやろー、という可能性をあきらめずにはいようかな、と思える契機になりました。

もう、なんかさー、これまでのいろいろ情報がなさすぎたり、人間の情操教育というか品性の到達度の低さがデフォルトだったが故のいろんな残念さは、人類全体で乗り越えていった方が楽しくない?
それこそ、他国が攻め込んできて戦争になるかもしれないからこちらも平和のために軍備を、みたいな皮肉な構図とか。
たしかに双方が未熟だったり、人を裏切る悪徳を持ってたり、そうしてでも何かを手に入れたいという欲望に負けたりしてると確かに起きますよ、侵略戦争というのは。そこに備えるための軍備というのも、至極現実的ではあるのでしょう。わかる。
たださ、その一切合切が、「人間が未熟でアレだから」で生じるわけじゃん?
もちろん一筋縄ではいかないと思うよ、戦争を起こそうとする人間の弱さや醜さ、愚かさを全人類が克服しよう、なんて。
でも、
「いつまでその残念な前提に立ってグルグル同じことを考え続けて実際に残念な事態を引き起こして阿鼻叫喚、の悲劇を繰り返し続けてんの?」
と呆れる心地もしてるわけで。
部分的にせよ段階的にせよ、もっとなんかあるやろー、と思ってます。
みんな思ってんじゃない?

そこを、うまくカタチにした成功のあり方。
さすがに自分だけ金と権力でウハウハ、みたいな「もはや憧れない」現世利益のためだけに大勢の人に皺寄せが行って苦しむ羽目になる(教祖)ビジネスモデルとか、ダセーのよ。改善の余地しかないw (はずだ!)
そこを、どうにか。

べつに、なんとしてもせっかく才能があるというなら教祖ビジネスで成功したいというエゴでは全然ないんですが、いいかげん

いろいろ世間一般の人より(小)器用にあれこれできるっぽい能力etcが一式、揃ってるわりにその発揮のしどころがなくて延々と器用貧乏で他人や社会に良い影響力も発現できていない(ままどこまでも歳をとっていってしまう)

のは、そっちの方があまりにも皮肉だし、この地球にあるリソースの一部としての私の能力を社会に提供できてないもどかしさ&もったいなさMAXなわけですわ。

だからこそ、セミナーで相手の方がたまたま言葉としては「教祖ビジネス」と表現なさった“ようするに私が持っているエネルギー的資質”をちゃんと開花させられるあり方は模索していこうと思った次第でした、というオチ。

ポイントは、ムーミンに出てくるトフスランとビフスラン。

「これでななしくはかいでしょう?」

本気でそう言える何かしらのカタチなら体現したい、実現したい!!

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