悪霊や悪魔といった「邪悪な存在」に対して「戦わずに理解して愛そう」とする発想は、稚拙で霊的な摂理に反する考えだと指摘します。邪悪な存在はウィルスや病原菌のように宿主を消耗させ、最終的に自滅を招く場合もあります。果たして、真に持つべきスタンスとは?
「戦いはいけない」
「何かを排除するのは差別」
という、善や平和といった概念を香ばしく拡大させた人は、タイトルにあるように悪霊や悪魔といった、わかりやすく邪悪(ここでは霊的摂理に反する方に推進しようとするエネルギーを持って発散する存在を総称する意味合いで使います)なものまで
「倒してはいけない」
「理解して愛そう」
という、器の大きな包容力のような理想を語りがち。
でも実際どうでしょうか。
ここでウィルスや病原菌を例えに出したいと思います。
そうした存在は自分たちが繁殖して栄えるために、宿主の細胞や生命エネルギーを利用して侵食して吸い取る、奪うことをしますよね。
その結果、宿主である人間などの生き物の方は病気になり弱ってしまうわけです。
でもそれが行きすぎて、宿主が肉体的に死んでしまったら。
宿主がもはや生命体として活動していないので、その体内にいるウィルスや病原菌もやがては死滅する運命から逃れられません。
この場合、ウィルスや病原菌は「勝った」のでしょうか。
その勝利の成果・恩恵としての繁栄を永続的に勝ち取れたといえますか?
……違いますよね。
病原体とされる生き物でも、古くから存在していろいろやらかして試行錯誤を繰り返して知恵を身につけたものたちがいます。
たとえば水疱瘡を引き起こす病原菌。
一度、人間が感染すると病気を発症しますが、よほどの場合を除いては死んでしまうほど重くはない。
そして「治った」ように見えて実際なにも困らず健康にその人間が暮らせるように回復したとしても、実は水疱瘡の菌は人間の免疫が及ばない奥深くにとどまり、人間が健康を害さない程度にエネルギーを「借り暮らし」して共生します。
(ところが宿主である人間の免疫が下がりすぎると、帯状疱疹として再び暴れることもあったりして)
逆に「若気の至り」で宿主を死なせてしまう結果、自分たちも滅びる羽目になってしまう「まだ浅はかな」知恵の段階にいるものも。
初期のHIVなんかそうですよね。エイズを発症したらドーン!でやりすぎて人間を死なせてしまう。
はい、これがまさに悪霊や悪魔など邪悪とされる存在たちにも言えるのです。
もし本当に、邪悪な存在とされるものたちもすべて創造主の一部で(←これは真実です)、そういう存在たちのことも排除してはならない、と思うなら。
(というか、完全なる排除はそもそも実際、不可能なのですが)
少なくとも、まだ浅はかなウィルス・病原菌みたいな香ばしさと若気の至り段階にいる悪霊や悪魔たちの好きにさせてはいけない
ことがおわかりではないでしょうか。
すごくシンプルに、そうした邪悪な存在が子供向けの漫画かゲームの悪のラスボスのように
「人間を滅ぼして我らがこの世を支配するのだ!」
という理想を掲げて突っ走ってるとしましょう。
そういう存在と戦わずにどうにか人間たちが理解を示したり、不戦スタンスを貫いたりするとしましょう。
それでも勝てるほど人間側が強ければいいのでしょうが、残念ながらそうではなかったとして。
そして彼らの思惑どおり、人間が滅びたとしましょう。
……しーん。
人間が滅びた後、悪霊や悪魔たちがこの世を支配?
どのようにそうした邪悪な存在たちは存在し続けるのですか?
ほんとに病原菌や人間のような生き物みたいに、肉体を持って生殖・繁殖して自分たちだけでこの世でヒエラルキーのトップ種族として暮らし続けられますかね?
って話なんです。
人間を滅ぼしてしまうと近い将来、自分たちも滅びるということが邪悪な存在たちには理解できないんです。
というように、人が愛や優しさ、善といった美徳ふうな概念を稚拙に解釈すると、霊的摂理にそぐわない、香ばしい変な理想に陥る危険があります。
スピリチュアルといった精神性を重視するなら、ちゃんと通用する理にかなったスタンスを持っていたいものですね。