ルドルフ・シュタイナーの『秘教講義1』の第2講では、霊的探求者が内的修行を進める際に直面するさらなる課題と、それを克服するための指針が示されています。特に、霊的な道を歩む上での「三つの気分」について詳しく述べられています。
三つの気分とその意味:
第一の気分(内的な苦悩):
説明: 霊的探求者は、物質世界の現実に深く関わりながらも、自身の内面において真の自己を見出せないという苦悩を経験します。この内的な葛藤は、自己認識の深化を促す重要なステップとなります。
第二の気分(悪魔的側面の認識):説明: 自己の内面を深く探求する過程で、自身の中に潜む悪魔的な側面や「三つの獣」と向き合うことになります。これらの側面を認識し、受け入れることで、霊的成長の障害を克服する道が開かれます。
第三の気分(世界への深い思い):説明: 物質世界に対する深い愛着や思いが芽生えます。この感情は、霊的探求者が物質界と霊界の両方を調和的に理解し、統合するための基盤となります。
シュタイナーは、これらの気分を通じて、霊的探求者が自己の内面と外界との関係を再評価し、深めることの重要性を強調しています。特に、内的な苦悩や葛藤を避けるのではなく、それらと向き合い、乗り越えることで、真の霊的成長が達成されると説いています。このように、第2講では、霊的修行の深化に伴い生じる内的な感情や気分の変化と、それらをどのように受け止め、活用するかについての指針が提供されています。
思考が死んでいる、とはどういうことか。
感情は(まだ)生きている、とはどういうことか。
その感情がアーリマン衝動と呼ばれるエネルギーによって「かき乱される」ことによって人間の偏見という虚偽が生まれる仕組みについて。
感情が民族や社会的階級に組み込まれ、宇宙カルマのために働く道具となっている……とはどういうことなのか。
(思考についての自己認識よりも難しいとされる)感情について自己認識を行わないと「霊界を嘲笑する」姿勢に無自覚のうちになっているのはなぜか。
人間が未来永劫、霊的に発展しないで今のままに留まり続けるように働きかける「霊的な権力」とは何か。なぜそうしているのか。
人間が無自覚であっても今生の人生は過去生までのカルマが色濃く影響し「決まっている」とはどういうことなのか。どう受け止め、どう振る舞うべきなのか。
人間が持ちうる、唯一アーリマンに打ち勝つことができる資質とは何か。
人間が霊界に参入しようとするときに立ちはだかる守護霊とその警告をどう受け止めればいいのか。
書籍冒頭にわざわざカラー印刷でシュタイナーの板書が示され、本文でも細かい注釈で講義中のシュタイナーが二重線を引く様子を臨場感ある描写で綴られている内容の真意とは?
総じて、なんとなく流し読みして「なんかいい話だった」「理屈ではよくわからないけどハートで感じ取ってる」などと、ちゃらんぽらんな霊学者(ともいえない単なるスピリチュアルポルノ堪能者)がへらへら笑いながら言っちゃいそうな、目に見えない世界の話だからこそなんとでも(誤)解釈できてしまう内容。
いわゆるうすっぺらいスピリチュアル好きな人が
「キタキター!ふわっとしたファンタジックな話!」
と喜びそう。