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コラム

「真実」に耐えられない人々──本物のスピリチュアルの場を創る難しさ

スピリチュアルな学びを求める人が増えている。だが、実際に「本物のスピリチュアル」に直面したとき、それに耐えられる人はごくわずかしかいない。

真実を知りたいと口では言いながら、その「真実」が一定の深さを超えた途端、人は 不良のようにふざけ、舌打ちし、茶化し、あるいは逃げ出す。 まるで、自分の弱さを見せつけられたくないがために、その場を壊そうとするかのように。

それは、学びの場を提供する側からすれば、まるで 出来の悪い園児しか集まらない幼稚園の先生 にでもなったような気分だ。だが、それでもやるしかない。

なぜ「真実」に触れると人はふざけるのか?

多くの人は、自分を「学びたい」「成長したい」と思っている。しかし、いざ本当にそれを目の前にすると、無意識のうちに 「自分のダメな部分を直視しなければならなくなる」 という恐怖が生じる。

その恐怖に対する反応は、大きく分けて三つある。

1.茶化して笑いに変える(=精神的な逃避)
これは、まるで学校の授業で先生の話を邪魔する不良と同じ。 「わかりたくない」「認めたくない」 という深層心理が働き、ふざけることで学びの場を台無しにしようとする。

2.攻撃的になる(=自己防衛)
こういう人たちは、まるでスピリチュアルな場に「詐欺師の尻尾を掴むために来ている警察官」のような態度をとる。こちらの揚げ足を取り、あら探しをし、何とかして「この学びには価値がない」と証明したがる。なぜなら、 「本物である」と認めることは、自分が今まで逃げてきたことを認めることになるから。

3.その場から帰る(=物理的な逃避)
「このエネルギーに耐えられない」と言って途中で帰る人もいる。これは、 「今の自分には、このレベルの真実に向き合う準備ができていない」 という証拠だ。問題なのは、ほとんどの人がそれを自覚せず、「この場がおかしい」「怪しい」と責任転嫁することだ。

本物のスピリチュアルに触れると、弱い自分が暴かれる

スピリチュアルを 「都合のいい自己肯定ツール」 だと思っている人は多い。「自分は特別な存在」「宇宙が味方している」「魂レベルではすごい力を持っている」…そんな甘い言葉だけを聞いていたいのだ。

だが、本物のスピリチュアルは 「甘やかし」ではなく「変容」 だ。

本当にエネルギーの強い場に入ると、その人が持つ低い波動が浮き彫りになり、 「今の自分のままでは、この真実に耐えられない」 という現実を突きつけられる。

それが耐えられない人ほど、 逃げるか、ふざけるか、攻撃するか という行動をとる。

この状況をどう受け止めるか?

「本物のスピリチュアルを学ぶ場を作りたい」という願いは、非常に崇高なものだ。しかし、実際にその場を開くと 「来るべき人が、来る準備ができていない」 という現実にぶつかることが多い。

そして、その結果、教師のような立場になった人間は 「出来の悪い園児を相手にしているような気分」 になる。

だが、そこに絶望するのではなく、ある種の 「割り切り」 が必要なのかもしれない。

・最初から、すべての人が理解できるわけではないと受け入れる
・本気で学びたい人だけが残る場をつくる
・無理に説得しようとせず、去る者は追わない

本物のスピリチュアルの学びは、「受け取る準備ができた人」だけが得られるもの。無理に教え込もうとするのではなく、 「準備ができた人だけが入れる磁場」 をつくることが、次のステップなのかもしれない。

スピリチュアルの学びに耐えられない人がいるのは、当然のこと。

それを理解し、 「今の自分ができることを淡々とやる」 という姿勢で進んでいくことが、長期的な成長につながるのだろう。

そして、いつの日か、本当に「準備ができた人」たちが自然と集まる場が生まれるはずだ。

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