要約:
自由意思は存在しないとする説に対して、スピリチュアル的視点から、思考や行動は集合的意識や外部の影響によって左右される可能性があると述べています。自由意思があるかどうかは人によって見解が異なり、スピリチュアルの観点では他の科学や哲学などの分野とは「自由意思」という単語の概念自体が異なるため単純な比較は難しいことも指摘しています。ポイント:
- 自由意思は外部の影響で制御される可能性の提起
- スピリチュアルの観点では他の分野と自由意思の概念が異なる
- 自由意思の有無とは別に、咄嗟の衝動を抑える自己統御の修練が重要
- 思考や行動は多くの要因に影響されがちだが、望まない影響を受けない自分になるが⭕️
人間に自由意思は存在しないという説があるのをご存知ですか。
自由意思というものがまるまる、あるかないかを⭕️❌で断言するのはなかなか勇気が要ることですが。
スピリチュアル(という、おそらく今後の科学が発展すれば正式に解き明かされることを直観的に先取りしている)分野では人間が思考を持つに至る要因として
・集合的自我
・集合意識
・グループソウル
・(肉体的and/or霊的)遺伝
・土地の磁場
などが保持する記憶的想念に影響を受ける
……など、いくつかの概念があります。
ほか、
・一時的な霊からの憑依
・体内細菌やウィルス、寄生虫など異物が分泌する化学物質、電気的刺激
・タバコや麻薬、砂糖など摂取した成分が持つ擬似的人格(厳密には霊ではないが霊のような性質を持つもの)
に思考をジャックされているなど、まさに非科学的とされてしまう、ぶっとび理論が山ほどあります(笑)。
それらすべてを、現状の科学で証明されていないからという理由で否定しますか。(20世紀の『良識的なつもりの大人』そのものですね!)
自由意思と呼ぶかどうかは置いておくとして、でも何かしらの意思を抱いてこそ人間は何かを考えたり感じたり行動したりするものだとするなら。
その意思の源泉、原因、要因には複数種類あるといえそうですね。
いわば車の運転席に我先に!と何人もの運転手志願者が押しよせてハンドルを握ったもん勝ち!という過酷な競争が常に起きているようなもの!?
それを自分の意志(ここがまさに自由意思と呼ばれるコアな部分?)で制御できないと、深夜にラーメン屋や牛丼屋にフラッと入って気がついたら大盛、特盛ガツガツに食っちゃったり。
もっとひどいと「魔がさして」痴漢行為など性犯罪行為に走る自分を抑えられなかったり、カッとなって人に暴力を振るって場合によっては取り返しのつかないことになることも。。。
スピリチュアルについて学びを深め、肉体的・精神的・霊的に強くなったり自分を自立・統御できるように修練を積む恩恵は、たとえばこのような「たった一瞬の過ちで一生を台無しにしない」点にもあったりして……。
今は一昔前ほど、超感覚を拓いて奇跡的な現実の変化を起こして難病を治したり借金苦から脱して億万長者へ……といった「たくましい」夢を持つ人はスピリチュアル好きな人たちの間にも減ってきているようですが(それはいいことなんでしょうか、ちんまい小者しかいなくなってきた現状を憂うべき?)、
最低限やばいことが起きない(ようにする、なる)
という、まさに目に見えない保険としてのメリットは見落としがちだけれど実は大きいと言えそう。
そうでもない?
べつにスピリチュアルを学んだりしなくてもほとんどの人は一生べつに犯罪などには無縁で一生を生きられるからOK牧場?
まぁ、そうかもね。
自由意思、あなたはあると思いますか?ないと思いますか?(←急に強引に話を本筋に戻す
私はあると捉えています。観測しています。
冒頭に言った自由意思は無いとする説が、私が自由意思として観測している部分について指しているかはわからない(というか、どうやら定義からしていろいろ違う)のでわざわざ反論したり対立するのも意味がないかなと思ってスルーしてます。
スピリチュアルにいう自由意思って、ルシファーがもたらした機能というか機構というか仕組みというかなので、哲学的・医学的etcの何々的な分野それぞれの人がいう自由意思と、そもそも単語の指し示す内容が全然違うっぽいわけですが。
まぁ、このへんはちゃんと想念エネルギーなど「目に見えない」とされる霊的な事象あれこれが観測できる能力を開花させてからでないと、空想談義みたくなってしまうので相手を選ばずに言葉だけで語るのも近年は控えてます。
「自由意思はあります!」
あなたの脳内で上記のセリフは、誰のモノマネで再生されましたか?(≒元ネタわかりましたか?)