Z世代の一部が「昭和の男らしさ」を目指す現象
Z世代は「やる気がない」「受け身」と批判されがちですが、その中には「自分は違う!」と主張し、成功を求めてハードワークを厭わない層も存在します。
しかし、その一部の若者が目指す「成功者像」は、まるで昭和時代のヤクザのような硬派な男らしさをモデルにしているように見えます。罵倒、腕力、支配的な態度——それらを「強くて頼もしい」と捉える動きがあるのです。
これは単なるノスタルジーなのでしょうか? それとも、時代の流れに逆行した新たな価値観の台頭なのでしょうか?
成功者のモデルケース不在が生む迷走
このような現象の背景には、現代社会における「成功者のモデルケースの不在」があるのかもしれません。
筆者自身、ロスジェネ世代の就職氷河期に生まれ、「ブラック企業」が当たり前の時代から、急速に「ホワイト化」した社会を経験してきました。成功者のロールモデルが身近におらず、どの方向を目指すべきか分からないという感覚は理解できます。
Z世代はさらに厳しい環境に置かれています。成功の定義が曖昧になり、社会全体が停滞する中で、彼らは何を目標にすればいいのか分からない。その結果、漫画や映画などのフィクションから、ある種の「理想像」を見出すことが多いのではないでしょうか。
海外に学ぶべきか? 言葉の壁とプライドの問題
一方で、日本が長年の経済的低迷を続ける間に、海外の国々は社会として進化し続けてきました。すべての国が理想的とは言えませんが、一定の知性や品性を備えた人々の間では、マナーや価値観が確立されている場面も多いです。
例えば、「キャンセルカルチャー」は、日本社会ではまだ議論の余地がありますが、海外の知的層ではすでに一定のルールとして定着しています。職場やSNSにおける迷惑行為に対し、明確に「拒否」するという文化は、少なくとも理論上は洗練されていると言えるでしょう。
しかし、日本の若者がこれを取り入れるには、言葉の壁や文化の違い、そして「外国に学ぶのはプライドが許さない」といった意識の問題が立ちはだかります。果たして、彼らは海外に目を向け、柔軟に良いものを吸収することができるのでしょうか?
「昔の良き時代に回帰」するのは危険な思考か
現在の社会に不満を抱え、「昔の良き時代に戻るべきだ」と考える人もいます。しかし、情報が氾濫する現代において、昭和時代の「硬派な男らしさ・女らしさ」を完全に再現することはほぼ不可能です。
さらに、現代は少しの暴言や威圧的な態度でも裁判沙汰になりかねない「ホワイト」な時代です。その中で、昭和的な価値観を再現しようとする試みは、むしろリスクが大きいと言わざるを得ません。
経済低迷が思考の停滞を招いた?
結局のところ、日本が長期的な経済低迷に陥ったことで、国民全体の思考のアップデートが止まってしまったのではないかという疑問が残ります。
「お金がないからこうなった」と単純に結論付けるのは早計ですが、経済的な余裕がなければ、新しい価値観を模索する時間や余力も生まれません。結果として、人々は過去の成功モデルにすがるか、フィクションの中に理想像を求めるしかなくなってしまうのかもしれません。
これからの社会はどう進むべきか
では、この状況をどうすればいいのでしょうか?
一つの解決策として、より広い視野を持ち、国内外を問わず「成功している事例」を柔軟に学ぶ姿勢が求められるのではないでしょうか。Z世代の若者も、「昔の硬派な男らしさ」ではなく、現代社会に適応しながら成功する方法を探る必要があります。
「今までのやり方がダメだから、昔に戻ろう」ではなく、「新しいやり方を試してみよう」という発想が重要です。
未来を切り開くのは、過去ではなく、これからの柔軟な思考と行動なのです。