成功とは何か?
私が目標を達成するとき、それは「成功」や「ご褒美」として認識しなくなったときであることに気づいた。現世利益の視点では夢を叶えたことになるが、それを良しとすることで霊魂の成長を見失わないようにするための設定なのかもしれない。
例えばダイエット。「痩せたら綺麗になるから成功」と思っているうちは、なぜかうまくいかない。資格試験も「受かったら自分の価値が上がる」などと考えている間は、合格が遠のくことがある。
これは単なる理屈ではなく、そうした成功観に囚われることで、驕りや慢心に繋がる可能性があるからだ。形式的に成功を満たすことで「以前よりも良い」という世俗的な考えに染まることの危険性がある。
成功しなくても成長している?
一般的な価値観で言えば、私は「成功している人間」には見えないかもしれない。しかし、輪廻転生の観点からすると、実は着実に成長しているのではないかと感じる。
例えば、芸術や才能の価値について考えてみる。20世紀では、音楽や演技、楽器演奏の才能がプロとして認められ、お金になることが成功の証とされた。しかし、スピリチュアルな視点から見ると、才能や芸術はお金に変換できるかどうかでは測れない価値がある。
私は過去の転生で培った美徳ゆえに備わった芸術的才能を活かし、プロを目指したが、うまくいかなかった。そのことに絶望した時期もあった。しかし今では、才能は売れるための道具ではなく、魂の成長のためにあるのだと理解できる。
お金だけが価値を決めるのではない
これは「負け犬の遠吠え」と捉えられるかもしれないし、現世で大成功している人には単なる言い訳に聞こえるかもしれない。しかし、私はようやくこの境地に到達できたことを誇らしく思う。
50歳が近づく中で、楽器演奏の技術も向上し、「気持ちをのせる」ということが日々わかるようになっている。ダイエットも、痩せたら肥満よりも何かが良いという差を意識して取り組んで延々とリバウンドを繰り返す状態から、ただ「その体型で生きることを(食事内容など行動面での実践も含めて)選ぶ」というシンプルなことに気づいたことで自然とうまくいっている。
他者を裁かない視点
この理解が腹落ちすると、たとえば太っていて健康を害している人を見ても「自己責任」と責める気持ちがなくなる。その人はその経験を通してその人が今回の人生の今のフェーズならではの宇宙で最もふさわしい課題を学んでいる最中なのだと観える。
結果が全て、というストイックな生き方をする人には、私の考えは甘く映るかもしれない。だが、私は単に言い訳をしているわけではなく、長い時間をかけてこの境地に至った。
スピリチュアルな視点での生き方
スピリチュアルヒーラーの役割は、世俗的な成功や幸福の幻想にとらわれない精神性を持つことにある。成功や称賛、富や名声といった価値観を超えたところに、本当の成長があるのだ。
私は自分の半生を振り返り、世俗の幻想(マーヤ)を意外にも順調にクリアしてきたのではないかと感じる。これからも、魂の成長を最優先にして生きていきたいと思う。