ブログの要約:
「think out loud」(声に出して考える)は、頭の中で考えるだけでなく、声や文字にして自己フィードバックすることで、思考を明確にする方法です。安全な環境で行い、信頼できる仲間と共有できると理想的です。ポイント:
– 思考を声や文字で明確に表現することが重要
– 安全な場で「検閲」なしに行う
– 理解のある仲間と共有できる環境が理想
– スピリチュアルな思考にも有効
「think out loud (声に出して考える)」
馴染みのない単語だと思いますが、大事だと思います。
ようするに、無言で頭の中でだけ考えるのではなく、声に出して自分がいま、何を考えているのかを発した音という形にして、それをリアルタイムで聞いていわば自己フィードバックする。
そうすることで、無言で考えているときと比べて、何をどう考えているのかわかりやすいということ。
これは音声でなく文字にあらわしてもいいかもしれません。
言葉でなく図形や数式の方がわかるという人はそれでもいいでしょう。
大事なのは、曖昧でなくはっきりと考えをあらわす形にしてしまうこと。
さらに付け加えるならば、それは常識やマナー、誰かへの配慮、暴言と見做され犯罪とされてしまうか否かetcのすべての「検閲」のない場で行うことが大事。
考えを深めていく際には、あえて極端な仮説や、一般社会の平和な秩序からすれば危険と見做されるような過激な思考をあえてふまえてみるといった冒険が欠かせないからです。
あれをしなきゃダメ、こういうことは許されない、こんなことを言ったら誰かに失礼になるetcのタブー的なNGを気にして、いい子ちゃんとして良識の枠組みの中でだけ思考をいくら巡らしたところで、その価値観の枠組みという箱庭の形をなぞってその中をウロウロするだけですから。
当然、そうした「思考の冒険」は、うっかり他人に話したりそれこそインターネットに書いたりすると、どこかの誰かの深い思慮なき浅い脊髄反射的な判断で正義の鉄槌を気取って
「けしからん!」
「傷ついた!」
「不届者め!」
「こいつは許せない!」
などと騒がれて社会生活に支障をきたすおそれもあります。
だからこそ。
「think out loud」は、そうした外野のいない、安全なところで、誰にも声が漏れないようにするのが大事。
そしてあわよくば、願わくは、
「think out loudを共有できる仲間」
がいると最高。
もちろん仲間ですから、浅い理解や誤解でなにかとすぐ「それは誰かへの誹謗中傷だ」「そんな暴言を吐くべきではない」といったトンチンカンなツッコミを入れてこない知性があることが大前提。
誰を仲間とみなすかどうかの出会いと人選からして、素晴らしい「think out loud仲間との空間」が成立するかどうかが問われてくるわけです。
はっきりいって簡単なことではないでしょう。
逆に言えば、それができたら、作れたら、持てたら。それって本当に幸運で力強いものだと思えませんか?
それがある人生と、ない人生は大きく異なることでしょう。
特に、現代の常識ではそもそも「無い」とされるスピリチュアルなことについて考える際には。
……あなたは自分なりの自分だけの「think out loud」、してますか?
質の高い思考プロセスを実現する場を、信頼できる仲間と共有する空間を、持てていますか?
ないなら作っていこうではありませんか。
どうやって作るかって?
それはまた膨大なコツやら手練手管が必要となる、一大プロジェクト。
また今度、いつかどこかで機会があれば……。(といっていつどのくらい説明するかは明言しない)