はじめに:「思考は現実化する」のリアル
よく耳にする「思考は現実化する」という言葉。スピリチュアルや自己啓発の世界では定番ですが、これは単なるスローガンではありません。私の20年近いスピリチュアルヒーラーとしての経験の中で、それが“確実な真実”だと、周囲の人々の生き様を通してはっきりと理解するようになりました。
というのも——人は、自分の思考のとおりに人生をデザインし、その枠組みの中で「当然のように」生きているのです。
数秒の会話でわかってしまう“思考のかたち”
セッションとしてのヒーリングをしなくても、パッと見と数秒の会話だけで、その人がどんな現実を生きていて、それがなぜそうなっているのかが読めるようになってきました。
極端な例を出せば、
- 歯が黄ばんでいて口臭がある⇒歯磨きしていない
というような、シンプルな因果関係。
それと同じように、
- 経済状況
- 対人関係
- 体調や見た目
なども、的外れな偏見ではなく、ある種のプロファイリングとして精度高く読み解くことができるようになったのです。
自己変容への“正確なプラン”も見えるように
「この人がどこをどう変えれば、人生が改善されるか」
「それにどのくらいの時間と労力が必要か」
そういった“自己変容のプラン”を現実的かつ精密に見積もることも可能になってきました。
けれど、そこで気づいたのです。「多くの人は、変われる可能性があっても、意地でも変わろうとしない」という残酷な現実に。
変わりたくない人たちの“あるある”
本当に何度も見てきたパターンがあります。たとえば:
- 「お金がない」と言いながら、具体的で確実なお金の稼ぎ方を示すと、「そこまでカネのために人生の大事な時間を犠牲にしたくない」などと否定して、今の生活を正当化する
- 「人に好かれない」と言いながら、どうすれば好かれるかを伝えると、「私は発達障害だから無理」と診断もないまま諦めを装う
こういう人たちは、なぜか頭の中で勝手に「対立構造」を作り出し、
「あいつらは生まれつき恵まれている敵だ」
と、“できる側”の人たちを敵視し始める。
ありがたい助言をしてくれるヒーラーやアドバイザーに対しても、余計なお世話だと嫌悪感をむき出しにする。まるで自分を主人公にした映画を妄想し、他人のアドバイスを“敵からの妨害”と見なしているかのようです。
私はもう、関わらないと決めた
こういう人たちにヒーリングを求められているわけでもないなら、私はもう関わらないことにしました。
目の前で「私は私らしく生きる!」なんてイキって見せられても、“どうでもいい”です。無視します。勝手にすればいい。縁を切ります。
そして、そういう人たちは、落ちるところまで落ちても、
「自分は運が悪かっただけ」
「世の中が悪い」
と、最後まで“悲劇のヒロイン”であり続けるのです。
終わりに:距離を置くことで、生きやすくなった
正直に言います。こういう人たちに少しでも意識を向けることは、私自身の人生への冒涜であり、自己虐待です。
ドライと言われるかもしれません。でも、このスタンスを取るようになってから、私はすごく生きやすくなりました。
関わらない、執着しない、割り切る。
これ、かなりおすすめです(笑)
あなたは、どちらの側で生きますか?
現実は思考の投影。
あなたの現実は、あなたの“思考”が毎日コツコツと創っています。
そのことを受け入れるのか、見て見ぬふりを続けるのか。
それもまた、あなたの“思考”次第なのです。