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コラム

人生の転機と精神的成長:エネルギーのバランスと欲望の課題

精神的修行と心の成長の成果

日々のスピリチュアルな修行や自己啓発を通じて、煩悩やネガティブな思考を払いのけてきた結果、私の生活は劇的に変化しました。以前は日常的に起こっていたトラブルがほとんど消え、経済面や人間関係においても不自由を感じることがなくなりました。まるで人生が信じられないほどの好転を遂げ、内なる平和を手に入れたかのようです。
また、俗世間においても、変人扱いされたり劣っているとみなされたり、みんなの仲間に入れない嫌われ者といった生きづらさがあるどころか、たいていの場や人相手ならまるで熟練した幼稚園の先生がどんなタイプの子供でもあやすみたいに好かれて信頼され、なんなら尊敬されたり頼られたりできるようになりました。
その結果、月並みではあるものの生活に困らず将来的にも心配するほどではない収入や蓄財ができましたし、その意味では一般社会においても中の上くらいのポジションでいることができている方なのではないかと思います。ロスジェネ世代の就職氷河期ワースト年度に田舎の低学歴ド貧乏な家庭に生まれて毒親ぎみのアレな両親をはじめどちらかというと望ましいとは言えないであろう家庭環境で育ったにしては上出来といってもさしつかえない程度にはうまく生きてこられたもんだと評しても罰は当たらないでしょう。

俗世間で成功するために必要なエネルギーとは?

しかし、一般人レベルをはるかに超えて社会的な成功を収めている起業家や企業のトップを観察していると、彼らが必ずしも精神的に洗練された人々ではないという現実に気づかされます。
つまり単にスピリチュアルな修行だの自己啓発で精神性を高めるだのを順当にやって、よくできた人になるだけでは俗世間的に言えばあるハードルで成果は頭打ちになる傾向がどうやら現時点ではあるといえるのかもしれません。
今これまでの時代を生きてくる中で何億円もの売上を達成するような企業経営には、ある種の自信過剰さや自己肯定感の高さ、その快感に酔いしれる要素が必要なのでしょうか。

これからどう変わるかまではわからないにせよ、現代のビジネス世界では、いわゆる「ルシファー的なエネルギー」〜人を魅了し、時に誇張された自信を放つ力〜が成功の重要な要素となっています。この種のカリスマ性は、多くの成功者に共通する特性であり、純粋な精神性だけでは得られない種類の影響力を生み出しているようです。

欲望の欠如がもたらす生きる原動力の喪失

となると、欲望に駆り立てられることがまったくといっていいほどなくなってしまった私はつまり、スピリチュアルを選んだがゆえに、俗世間的な現世利益でいえばたいしたことないポジションどまりということでしょうか。そこに満足していれば善い人なんでしょうかね。
……というか、俗世間の成功度ランキングなんて大層な土俵を持ち出す以前に、率直にいえば私はもはや物質的な所有や社会的地位への執着が薄れ、あまりに冷静な心境に達したことで、皮肉にも生きる原動力を見失いつつあります。他の人々が目先の欲求に心を躍らせ行動を起こす姿(例:髪型がうまくセットできたとか)を見ながら、自分にはもはやそのような感情の揺れがないことに気づきます。これはどうなんだろう。。。

欲望という動機を失った今、私の内面には奇妙な空虚さが生まれています。何かを獲得するために奮闘するという基本的な人間の感情が薄れ、その結果として生まれる物足りなさと迷いが私を包んでいるのです。

人生の折り返し点での迷いと課題

50歳を目前に控え、人生の折り返し点に立っている感覚があります。かつて「人生50年」と言われていた時代の感覚に近づき、自分の存在意義を改めて問い直す時期に来ているのでしょう。
そもそも遺伝的記憶を先祖に何代、遡ろうと、まさか50代以降に新たにフレッシュな気持ちで精神面はもとより物理的にもこれからの時代にあわせてアップデートしつつさらなる発展を……なんて思考は、入っていない印象。
つまり、長い人類の歴史においてももしかしたら初めて、よりによって50代以降にどんどん変わる時代にもプラスの連続で拡大成長して豊かに生き生きと伸びていこうなんて考えている(そうせざるを得ない)世代が私たちなのではないでしょうか。

現代は100年時代と言われる長寿社会において、「残りの人生をどう生きるべきか」という問いは一層重みを増します。過去に欲望を原動力として生きていた自分が、今は欲に駆られない達観した心境になっている—この変化は現代社会における自然な精神的成熟なのか、それとも何か重要なものを失ってしまった結果なのか。この問いは私の心に常に存在しています。

現代社会と昔の生き方の違いについて考える

歴史を振り返れば、多くの文化圏において50歳を過ぎた人生後半は、無欲・無心の境地に近づくことが理想とされてきました。しかし、現代社会では100年という長い人生において、50歳はまだ中盤に過ぎません。新たなキャリアを始める人、起業する人、情熱を注ぐ新しい趣味を見つける人も少なくありません。

この時代特有の長い「第二の人生」をどう生きるかという課題は、単に個人的な問題ではなく、社会全体が直面している普遍的なテーマとなっています。精神的な成熟と社会的な活力のバランスをどう取るべきか—これこそが私たち現代人に突きつけられた大きな問いなのです。

精神的成長の道を歩みながらも、社会との関わりの中で自分の居場所と役割を見つけ、意味ある形で残りの人生を生きていくことが、これからの私の挑戦です。欲望に振り回されることなく、それでいて生きる情熱を失わない—そんなバランスの取れた生き方を探求していきたいと思います。

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