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コラム

視点の成熟が遅かった私 〜それでも良かったと思える理由〜

はじめに

私は、昔から子供じみたところが多く、何歳になっても悪い意味で子供っぽい部分がありました。社会に出ても、ビジネスの本質や会社員としての立ち振る舞いを理解するのが遅く、周囲の成熟した人々に圧倒されることも少なくありませんでした。

しかし、50歳を目前にした今、これまでの人生を振り返ってみると、「遅くても、気づけただけ良かったのではないか」と思えるようになりました。本記事では、私がどのようにして社会の仕組みを理解し、成熟していったのかを振り返りながら、「遅い成長」も悪くないと感じる理由について考えてみたいと思います。

ビジネスモデルの理解が遅かった私

新卒の頃から、ビジネスの基本的な概念を理解している人をすごいと思っていました。特に、「プロフィットセンター」と「コストセンター」という考え方すら知らなかったのは、今思えば驚くほどの無知でした。

プロフィットセンターとは、営業のように会社に直接お金をもたらす部門。一方で、コストセンターは人事や総務のように、企業の運営には不可欠でも直接売上を生まない部門です。当然、会社を支えるためにはプロフィットセンターの存在が不可欠で、いくら優秀でもコストセンターだけでは企業は成り立ちません。

こうした基本的な構造を、私は30歳で独立し、個人事業を営みながら他社の様子を外部から観察することでようやく理解しました。それまでの私は、働くことの意味や企業の仕組みを深く考えずに仕事をしていたのです。

「ポジショントーク」の概念を知ったのも遅かった

私が社会の現実を知る上で、もう一つ遅れを取ったのが「ポジショントーク」の概念です。

例えば、ある薬の注射が実は危険であると知っていたとしても、その製薬会社と契約している以上は「安全だ、みんな打て」と言わなければならないのが現実です。これは、契約を遵守するための建前であり、社会の中ではこうした「表と裏」が常に存在しています。

自分自身、会社員時代には嫌な仕事でもやりたいことのような顔をして取り組んだ、いわば「表と裏」を使い分けて生きていた経験があったのですが、それでもなお、そうした図式を俯瞰して捉え、他人やビジネス自体や社会全体の構造として認識する能力は育っていませんでした。

無知と純粋さのまま過ごした若年期

そんな未熟な私でも、なんとか東京で社会人生活を送り、酷い目に遭わずに生きてこられたことには自分でも驚きます。世間知らずのまま過ごしていたにもかかわらず、大きな失敗や詐欺に巻き込まれることもなく、ここまで生きてこられたのは運が良かったとしか言いようがありません。

しかし、今の私から見ると、当時の私のような「おぼこい」人は世の中に意外と多く存在します。特に、年下の人だけでなく、年上の人でも驚くほど純粋なままの人がいるものです。

例えば、芸能人や有名社長が書いた「タレント本」を本人がすべて執筆していると信じている人。実際には、多くのケースでゴーストライターが執筆し、本人は最終チェックをする程度であることを、私は出版業界の仕事を通じて知りました。しかし、このことを知らない人にとっては、「タレント本=本人が書いたもの」という純粋な信念があるのです。

適度な無知と愚かさも賢さのうち

とはいえ、何でも知っていれば良いというものでもありません。世の中には、知ってもどうしようもないこと、知ってしまうと生きづらくなることが無数にあります。

例えば、政治や経済の裏事情を知り尽くしたところで、自分一人の力ではどうにもできないことも多いです。むしろ、ある程度の無知と愚かさを保つことが、人生をより楽しく、賢明に生きるための方法なのかもしれません。

まとめ 〜遅まきながらの成熟とこれから〜

振り返ってみると、私は驚くほど未熟な若者でした。しかし、それもまた私にとっては必要な経験だったのでしょう。

もしも、若い頃から全てを理解し、冷静に社会を分析できていたとしたら、今の私はまったく違う人生を歩んでいたかもしれません。しかし、現実には私は「何も知らないまま」社会に飛び込み、試行錯誤しながら学んできました。そして今、遅まきながらも、ようやく成熟した視点を持てるようになったのです。

今後は、前半の人生で培った「無知」と「純粋さ」を糧に、後半の人生では深い知識と洞察力を持った「老賢者」として生きていこうと密かに考えています。

遅い成長でも、気づけただけで十分。そう思えることが、今の私にとって最大の財産なのかもしれません。

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