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コラム

絶対に得する保証がないと動けない人の危うさ

はじめに

「絶対に役に立って失敗せず、ものすごく得する保証があるならやります」──このような考え方をする人が増えているように感じます。確かに、失敗したくない、損をしたくないというのは自然な感情です。しかし、この考え方に縛られていると、人生の多くの機会を逃してしまうかもしれません。

芸術や体験の価値は数値化できない

例えば、芸術鑑賞の価値を数値で表すことはできません。感動や発見は人それぞれであり、体験の意味は自分の姿勢次第で大きく変わります。どんな経験も「損した」「失敗した」と感じるか、「学びがあった」「面白かった」と感じるかは、その人自身の取り組み方によるものが大きいのです。

失敗を避けすぎる人の時間の使い方

「損をしたくない」と言う人が、果たして本当に有意義な時間を過ごしているのか。実際、そのような人に話を聞くと「結局、家で寝ていた」といった答えが返ってくることが少なくありません。もちろん、睡眠は大切です。しかし、未知のイベントやセミナーに参加するよりも家で寝ることの方が価値があるのかは、疑問が残ります。

受け身な生き方の問題点

何かをする前に「本当に得するか?」「絶対に役に立つのか?」と確認しないと動けない姿勢は、極めて受け身です。そういう人が、特別な才能や魅力を持っているならまだしも、そうでない限り尊敬はしにくいものです。

確かに、何かに挑戦するよりも家でYouTubeを見て過ごす方が安全で合理的かもしれません。つまらなければすぐに別の動画に切り替えればいいのですから。しかし、その選択ばかりしていると、新しい発見や成長の機会を逃してしまいます。

安穏な生き方は本当に良いのか?

受け身の生き方を続けることで、何か価値を生み出せるでしょうか? おそらく、そういった人たちが新しい価値を生み出すことは難しいでしょう。そして、安穏とした生活は、赤ん坊や寝たきりの老人になったときに味わえば十分ではないでしょうか。

動けるうちは動く。たとえ失敗しても、それが経験となり、成長につながることは間違いありません。しかし、常に無難な道を選んでいると、次第にその生き方しかできなくなっていきます。

「それでいい」と開き直るならそれも自由

もし「そんな生き方でも問題ない」と開き直るなら、それも一つの選択肢でしょう。おそらく、そういう人は経済的な余裕もあるのでしょうから、他人が口を出すべきことではないのかもしれません。

実際、YouTube配信者などは、受け身の視聴者がいてこそ成り立つビジネスを展開しています。そのような視聴者層がいることで、配信者たちは成功しているのです。

これからの時代、それで本当に大丈夫?

しかし、これからの時代、そのような生き方で本当にいいのでしょうか? 私は、損得勘定だけで動く価値観に縛られていると、人生の選択肢がどんどん狭まり、経験も浅くなり、最終的には何もできなくなると考えています。

多少の失敗や苦労を経験することで、タフになり、最初は「損した」と思うことでも、やり続けることで新たな価値や満足感が得られることはよくあることです。これからの時代、社会のハードルはますます高くなるでしょう。そんな中、無難な生き方に甘んじていると、単純に不利になるのではないでしょうか。

まとめ

最終的には、人それぞれが納得する形で生きるのが一番です。しかし、「絶対に得する」「絶対に損しない」と保証がないと動けない姿勢は、人生の可能性を狭めてしまいます。

動けるうちは、動く。失敗を恐れず、新しい経験を積む。それこそが、豊かな人生を作るための大切な姿勢なのではないでしょうか。

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