1. マイクロダメ出しとは何か?
細かいマネジメントを「マイクロマネジメント」と呼ぶように、誰かの意見に対してちまちまとダメ出しをする行為を「マイクロダメ出し」と呼ぶことにしよう。
例えば、誰かが「犬は可愛い」と言っただけで、「猫は可愛くないってことですか?」と突っかかるようなもの。こうした揚げ足取りレベルの指摘は論外としても、問題は「建設的なつもり」のマイクロダメ出しだ。
たとえば、構想段階で「この細かい部分はどうする?」と優先順位や緊急性の低いことをあれこれ尋ねる人たちがいる。彼らは自分を優秀な管理者だと思っていることが多く、小規模なビジネスや管理職レベルでは確かに一定の役割を果たす。しかし、もっと大きな視点で見ると、そのこだわりが本当に価値を生んでいるのかは疑問だ。
2. マイクロダメ出しが無益に感じる理由
以前は気にならなかった細かい指摘が、今になって辟易とするようになったのは、自分が成長した証拠だろう。
実際、重要なポイントだけしっかり押さえ、あとは柔軟に進めるほうが、マイクロダメ出しに時間をかけるよりもはるかに良い結果を生む。経験を積んだからこそ、「こだわるべきところ」と「流していいところ」の見極めができるようになったのだ。
そして、その見極めができない人たちに対して「それは無駄だよ」と指摘することもできる。だが、それをしてしまうと、今度はこちらが「マイクロダメ出しをする人」になってしまう。
3. 「やりこめる」ことに意味はない
マイクロダメ出しをする人に対して、論破するのは簡単だ。経験や視点の差があるなら、こちらのほうが論理的にも優位に立てるだろう。
だが、それをしても得られるものは少ない。相手を言い負かしたところで、時間と労力が無駄になるだけだし、そこに優越感を感じるのも芸がない。かといって、相手のレベルに合わせてわざとできないフリをするのも、また不毛な話だ。
4. 自分を「ちょうどいい環境」に置く
では、どうすればよいのか?
最も良いのは、「自分と釣り合うか、少し努力すればついていけるレベルの環境に身を置く」ことだろう。そうすれば、無意味な指摘の応酬に時間を割く必要もなくなり、より生産的な議論ができる。
成長するにつれて、自分がいるべき場所も変わる。無益なマイクロダメ出しに巻き込まれないためには、意識的に環境を選び、そこにふさわしい人たちと付き合っていくことが大切なのかもしれない。