いま受講中の、シータヒーリング「存在の層2」インストラクター養成講座。
マジですごい機会の連続。
なんとなくやった気になって流す義務的で中身のないビリーフワークとか皆無。
1回ごとに、ほんとに予想もつかなかったほどの癒しと変容が成立しまくっています。
(余談ですが私、シータヒーリング自体は技法として、いくらでも使い方次第で活かせること自体は確信できてきているんですが、『なんとかとハサミは使いよう』式に、使う側の問題でぶっちゃけたいした癒しなんか実現できるヒーラーまずいねえな、という現状にうんざりしてました。が、ここへ来てちゃんと道具としてのシータヒーリングを使えるヒーラーがようやく育ってきたということなんでしょうかね、知らんけど)
そこで私個人の出来事として感動的だったのがタイトルの内容。
ようするに私、過去生だのなんだのを通じて、いろんな意味不明げで理解不能で理不尽でナンセンスな苦行的な誓いを、その時々の知り合いのため?にしまくりだったんですよ。
名前は伏せますが、世間でも有名な宗教の宗派など、そりゃあもう何百年何千年にも渡って、膨大な数の人間がこれまた膨大な量の念というかを集合させて成立している「〜しなければならない/〜してはならない」系の諸々をいくつもいくつも、転生してなお背負っていました。
それをこれまでも自覚はしつつ、それこそシータヒーリングのセミナーに参加した折々に指摘してもらったり、誓いの解除コマンドをかけてもらったりはしたものの、自分側の潜在意識的な信念で
「なぁ〜んちゃって。解除されたフリをしてるだけだよ〜ン」
とベロベロバー状態で誓いを頑なに保持し続けてたりしたわけです。
ようするに納得がいってなかったんですよね、誓いを手放すことに対して。
でも今回いよいよそれが成立した。できた。
その納得がいくまでの思考の経緯は長くなるしあまり他人が読んで役立つ感じでもないか、もし開示するとしてもこういうブログ記事ではなくヒーリング実践者向けの場で参考情報として出すほうがいいよなと思うので書きませんが、やっとのことで納得できたわけです。
納得というか、馬鹿馬鹿しさ?持ってる必要ないじゃん感が成立?したというのが本音ですが。
だってさ!転生して生まれ変わってまで、過去生で所属してた宗教の戒律を守り続けろなんて意味わかんないし、それこそ古典的王道としての宗教の戒律各種って、現代の感覚からしたらナンセンスで無意味なくせに人に不自由を押し付けて可能性を閉ざすだけだったりするでしょ?
そんなもん今これから守り続けてどうするんだよ、と。
そして戒律を破ると何か大変な悪いことが起こるぞ、それは人として許されない魂の堕落だぞ、みたいなのも全部全部、嘘だったりして。
(あるいは、一理はあるとしても、そうならない柔軟な対処法はいくらでもあったりするのでそんな無理して戒律をキツキツに守る必要なかったり)
そんなこんなで全解除。
すごかった。
まるで浮遊霊に取り憑かれていたみたいに、実は私の背後というか周囲というかで常にプレッシャーをかけ続けてきた膨大な人数の「コワモテの先輩」みたいな意識体たち。
それが、お風呂の栓を抜いたときにゴバァーッとお湯が抜けていくみたいに、どっかへ吸い込まれて消えていくイメージで。
そのときの、
「ちょ、おま、約束が違うやんけ。上納金(≒としての霊的エネルギー)あいかわらず持ってこいや。おい、どこ行くねん」
的な、雑魚っぽい慌てふためき方といったら。
なぁんだ、こんなチンケでチャチいKZどもとの誓いなんかご丁寧に守ってたんかいな俺、と脱力してしまった。
同時に、深いところでは私がそういう誓いを、自分の力をセーブしてくれる「大リーガー養成ギプス」として利用してたんだな、ということも理解。
いつだって自分の人生で起きる問題のラスボスは自分自身なんですねぃ。
まぁ、それだけなんですけど。
それだけのことが、こんなに大きい変化を生むだなんて。
話は変わるようですが私、友達ができないほうなんですよ。
そして決してコミュ障じゃない。
穏便にソツなく振る舞える方だったりもするのに、まったくお声がかからない。人との縁が深まらない。
今回このセミナー受講のため大阪に来たんですが、20年来の付き合いがある知り合いたちと久々に会いにいったら誰一人、私のことを覚えていなかった。
(これも私の人生では、よくある話)
めげずに、「はじめまして」ということで個人居酒屋を経営してる知人と新たに関係を作るがごとくに何時間も飲んで話してお金も使って、で3日後にまたお店を訪れたら、早くも忘れられていた😀
そんな不思議な?私なんですが、上記のワークをした数時間後から流れが変わり。
新しくできたという話題の鉄板焼き屋さんに1人で行ったら、偶然そこに居合わせたお客さんたちや店員さんたちとあれよあれよと意気投合して、気心の知れた旧知の仲みたいな路線で楽しめた。
いろんなタイプの人がいたし、第一印象で私のことをそんなに好きじゃないと思ってるっぽいなと思しき、あまり会話に乗り気でない人ももちろんいた。
けど、そういう人たちのアイスブレイクだってこっちはお手のものだから。
年の功ならではの手練手管で水商売のプロばりに(と言ったら水商売のプロに失礼かしら)。
すっっっっっっごく楽しかった。
なんのひねくれやお世辞でもなく、人と交流するってこんなに温かくて気持ちのいいものなんだと思えた。
そして、周囲の人たちが私のことを大切に扱ってくれた。
こんなことが起こるのはこの人生では初めてのような、同時にこれが私の本来の当たり前のような心地が両方した。
そこで思い出したというか、我に返ったというか。
私はいろんな意味で魅力があり、知性も感性もいろいろふんだんに持っててイケてて、それを他人が好ましく思うのも当然の成り行きで、したがって人気者で人望がありまくりなのがデフォルトじゃん!と。
俗世間では特に、誰からも相手にされなかったり、異様に根も葉もない悪い噂を立てられて悪評をばらまかれたりしがちだったけど、それもこれもやはり「自分の人生で起きる問題のラスボスは自分自身」と思い至り。
ぜんぶぜんぶ自分が仕組んだ、自分を抑圧して騙して力を発揮させず「封印」しておくための小賢しい策略だったんだな、と。
あんまり描いても「なんだテメエ」感でてきてイヤミだとアレなんでこのへんにしておきますが。
ようやっと、人生50年を目前にして、私が誰か(どんな人(柄)か)を思い出せたよ。
長かったー。
そして、くれぐれも途中で早まったことしなくてよかった。
素朴に素直にそんな感じです。
こっからが本番よー!!!!!
私の人生のイイところ❤️