AIによるブログ記事要約
「普通の人」は「負け犬」多数派。常に1位でいられる人はいない。順位に執着し、他人を攻撃するのは幼稚。何かを尽くしたい対象を見つけることで、より豊かな人生が送れる。
ポイント:
- 「普通の人」は「負け犬」多数派であるという衝撃的な視点
- 順位への執着の危険性と、それを見つめ直すことの重要性
- 何かを尽くしたい対象を見つけることの意義
- 他人の意見に振り回されず、自分にとって何が大切なのかを自問自答することの大切さ
補足: このブログ記事は、読者に強烈なインパクトを与える言葉や比喩を多用しており、挑発的な内容を含んでいます。上記要約は、その内容を簡潔にまとめたものであり、原文のニュアンスや表現をすべて含んでいるわけではありません。
過激なタイトルに感じますか?
スポーツの勝ち抜きトーナメント戦などでは、当然ながら試合が進むにつれて敗者が過半数を占めるように増えていき、最終的には決勝に残った2チーム以外はすでに家に帰っていたり、現地に残っているとしても試合には出られるわけないので見学に回っていることが多いですよね?
いわば、勝ち上がった人たちになればなるほど「少数派」になるわけです。
これは俗世間にごまんといる「普通の人」という「多数派」が「負け犬」であると言えなくもない……と思いませんか?
負け犬なんて言われると、それがすなわち悪口のように感じて脊髄反射的に「ムキーッ!」と幼稚な怒り爆発!になる人も少なくはない様子。
(ムキーッと思ってる時点で『思い当たるフシがある』のだから、ようするに自分は負け犬だと認めたようなものだと思うんですが)
でも本当に現実に事実上、世界一の第1位だけが「勝者」なのだとしたら。
2位以下は全員、敗者。負け犬確定です。
それが学問だったりスポーツだったり、職業に就いたら仕事で要求される技能や知識、あるいは芸術の分野だったり、もっと卑近に小さい物事(遠くまでツバを吐いて飛ばせるかどうかとか)をひとつひとつ挙げていけば無数に競う科目は増えることになります。
そのいちいちで自分の世界ランキング順位がリアルタイムに表示されるようになってしまったとき、人間の自尊心は持ち堪えられるものでしょうか、ね?
ある分野・種目である瞬間に世界第1位に実際にいるとしても、別の種目・科目ではそもそも不戦敗というか、未経験ゆえに全然できないものが無数にあるわけですよね。
第1位を手に入れたその種目だって、時間が経てば誰かに負けることもあるでしょう。一生ずっと1位でい続けることができる人間はほぼ皆無です。
そういう意味では、古今東西すべての人間はすべからく全員、何かしらの意味合い・競技種目では「負け犬」なんです。
このことを、しれっと平常心で「そりゃそうでしょ」と受け止めつつ気に病まず流せるか。
悪い意味でいちいち悔しがったり、いちいち負けず嫌い根性を発揮して「なにくそ!」と頑張ったりせずにいられるか。
それができるかどうかが大人の目安であり、生きるコンセプトが確立されているかどうかなのではないでしょうか。
何かを目指して生きるということは、それ以外のありとあらゆる無限の可能性を、豊かさを、もしそれを現実化して手に入れていたら感じられる幸せを、放棄するということ。
たった1つの現実化する「何か」を選ぶために、その他あらゆる、無限大に近い可能性を捨てる勇気があるか。
そして何より、どんな基準にせよ、点数だか優劣だかを公明正大な基準に照らして測定して決まった正当な真実の世界ランキング順位だとしても
わけもなくとにかく第1位を獲ることに執着しない
のが存外に大事。
もしどうしても第1位をなんとしても獲ることが大事だというのなら、誰もを納得させるような……というかせめて自分が完全に納得できるような理由を持っているかどうかを内観したり、信頼できる人と話してみる価値があるのでは。
人がいつ頃から順位をどの程度、躍起になって気にするようになったのかはわからないですが、スポーツ競技や学校の受験などで点数を競う風潮に煽られたから強迫観念的にとにかく順位を上にしなければ!と思うとしたら、弱いからミーハーに流されてるお子ちゃまなのでは。
毒舌インフルーエンサーの、理由がぜんぜん成立していないのに「〜〜できてない奴はイタい」という煽りでヒヤッとしたりカッとなったりして「頑張る」のってもう、踊らされて催眠的暗示にかけられたカモですからね。
そもそも自分のランキングを第一に気にしてるのって、幼稚で残念なエゴイスト。
自分が負けたり、もっといえば助からずに死んでしまうとしても、それでも代わりに助けたい何かや誰か、尽くしたい対象がいないのかよ、と。
いつまでも自分の命が第一、豊かで幸せにぬくぬくとできているかどうか至上主義で、それが手に入ったら思考停止して無限に無尽蔵にそのぬくぬくを永遠に味わい続け貪り続けようとする……としたら、それって人間?それとも餓鬼?ガキ?
なーんて。
勝ち負けってなんのために気にしてますか。
あるいは、負けっぱなしでいる自分を正当化するため(だけ)に
「自分は勝ち負けなんて気にしないよ」
と余裕ぶる?
それともあくまでもルシファーの生み出した幻想の中で「寝てもさめても少年漫画 夢見てばっか♪」の一生を送る?
まぁ、どんな生き方も信条も個々人の「自由」なんでしたっけ?
だとしたらどんな生き方でも正解も不正解もなく全部OKってことですかだとしたらよかったですね(棒読み)。