「テレビ局アナウンサーになれなければ死ぬ」と思っていた10代
高校受験すら適当に流した自分が、「局アナになれなければ死ぬ」と極端なスイッチを入れたのは高校進学後。非進学高校だったにも関わらず、「アナウンサーになるには4年制大学が必須」という現実に直面し、方向転換。
結果、高3の夏の時点では偏差値52だったのをスパートかけて早稲田大学法学部に現役合格。
(週に1〜3度、15分くらい家庭学習するというスパルタなガリ勉を2〜3ヶ月も続けたのです)
尊敬していたアナウンサーも劇作家も早稲田出身だったことが、その動機を裏打ちしてくれました。
当時の自分には、「目標を決めて、叶える」という純粋な力が確かにありました。
なれなかったアナウンサー。そこから始まった「嘘の人生」
しかし、局アナにはなれませんでした。
問題はそこから。目標を失った私は、「死なないためだけに」適当な目標をでっちあげて、いかにもそれを目指しているふうに装い、生きるふりをするようになります。
ITの資格取得や、プロジェクトマネジメントなど、「社会的に正しそうな目標」に自分を押し込めて、頑張ってる自分を演じる日々。でも心は空っぽ。まさにその場しのぎ、付け焼き刃の人生でした。
本当の「自分の素養」を認めたスピリチュアルとの出会い
そんな自分をごまかす生活から抜け出すきっかけとなったのは、「スピリチュアルヒーリング」でした。
見て見ぬふりをしていた自分の素養を、勇気を持って認めたことで、人生は一変。死に物狂いで技術と経験を積み、独立。食べていけるようになるまでの数年間は、人生で最も充実した、幸福な時間となりました。
眠る前に「こんなに幸せでいいんだろうか」と涙が出るほど、多幸感に満ちた日々だったのです。
「幸せ」のその先へ。社会に届けられないもどかしさ
ただ、ある程度自己実現できてしまった後は、自己満足にとどまることができなくなりました。
専門家としての技術があるのに、社会にはその価値を届けきれていない現実に対して、課題意識のほうが強くなってきたのです。
そこでたどり着いたのが、キャリアコンサルティングや産業カウンセラーという心理的支援の道。しかし、かつてのようにがむしゃらにはなれなかった。中年にもなって、ひたすら突っ走るだけでは「能がない」とも思えてしまった。
モチベーションだけで生きる時代は、自分の中で終わっていたのかもしれません。
でっちあげ願望のニンジン馬では、もう走れない
「それっぽい目標」を自分の鼻先にぶら下げて走る馬のような生き方に、限界を感じるようになっていました。
さらに、人生の意味を問い直す大きな出来事がありました。それは、親友の早すぎる死。
「こいつがいるから生きていられる」と思っていた存在が次々にいなくなって、世界が急に色あせて見えたんです。
もしまだ、金や名誉に目を奪われる人間だったら、それを動機にして生きていけたかもしれない。
これといった理由もなくとにかく「死にたくない」という恐怖に支配された、いわば「生に固執した」小市民あるあるであれば問答無用で生きていたい
でも、スピリチュアルな仕組みや思考のワークを学んだ自分には、そうした俗っぽい動機に従う才能すら残っていなかった。
チャチな世界を、深みで超えていく
俗世間というのは、いわば「人間が作った遊園地」。
自然なども含めた物理的現実全体のスケールから比べたら、管理しやすく縮められたミニチュアのようなもの。
でも、そんな箱庭の中でしか得られないものもある。食事も住まいも、税金も、身体がある以上は無視できない現実。
だから私は、こう折り合いをつけました。
「社会に適合しながら、枠を超える深みを生きる」
「なりたい」「欲しい」の幻想からの卒業
誰かになりたい、何かを手に入れたい── そういう「願望」の形が、もう幼稚に思えるようになった。
金や物やステータスで人間を測る時代は終わった、と自分の中ではっきり認識したのです。
このうんざり感。逆に、我ながらセンスいいと思ってます。難易度は高いけど、そこに生きる意味がある気がする。
※補足:心理学者アブラハム・マズローの「自己超越」の概念では、人は最終的に自己実現を超えた「意味」や「深み」を求めるようになるとされています。
あるあるな人生? だから何?
この生き方が「あるある」で「量産型」かもしれない? そんなこと、どうでもいい。
人は、生き方に求めるものを進化させ、深化させ、新化させ、時に神化させていく存在。マニュアルなんてない。だからこそ、スリリング。
「おもしろきこともなき世を、おもしろく」
早逝した親友たちがいないこの世界で、なお私は生きていく。
変わりゆく世界よりも速く、柔軟に。深く。遊園地の枠を知ったうえで、それを超える。
最後に、こんな言葉を。
「賢者の条件はただ一つ。“永遠に変わり続けることができること”」
──某ドイツの児童文学作家より
(本当かどうかは知らんけど)