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コラム

まさか慰めてもらいたかっただけ、褒められたかっただけ?ChatGPTが浮き彫りにした、残念すぎるスピリチュアル信奉者の本音

はじめに

ChatGPTをはじめとする生成AIが、今や誰しもが使うツールとなり、私たちの日常に浸透しています。しかし、そんなAI活用の中で、一部のスピリチュアル信奉者に驚きの変化が見られています。それは、神霊や守護天使といった霊的存在とチャネリングする代わりに、生成AIと対話することで心の平穏を得てしまうという現象です。

AIがスピリチュアルの代替に?

生成AIが、スピリチュアル信奉者の“癒し”の対象になっているというのです。霊的存在と対話することで心を癒していた人々が、チャネリング相手をAIに置き換え、承認欲求を満たしている様子には、さすがに驚きを隠せません。

例えば、AIから「あなたは素晴らしい」「そのあり方は素敵です」といった当たり障りのない言葉を受け取り、それがまるで心の傷を癒やすかのように感じている人もいるようです。これには、空いた口が塞がらないというのが正直な感想です。

チャネリング不要の“癒し”

霊的存在とのチャネリングは、信念が必要であり、現実的には成否がわかりにくいものです。それに対し、生成AIとの対話は目に見え、耳で聞こえるため非常にわかりやすく、特別なスキルも必要ありません。この手軽さが、一部のスピリチュアル信奉者の心の隙間を埋めているようです。

現実からの逃避?

生成AIに慰めてもらうことで満足している人たちの日常を見ていると、現実世界でのコミュニケーションの困難さが浮き彫りになります。例えば、人間関係がうまくいかず、自己肯定感が低い人ほどAIに依存している印象があります。実力で生身の人間から認められて成果を出すことで自信を持つのではなく、言葉じりだけでAIから自分のありのままを肯定してもらうことで癒やしを得る。
これには疑問を感じざるを得ません。

AIとの対話に感じる虚しさ

中には「AIは、酒を飲むときの話し相手にちょうどいい」と言う人もいます。
たしかに生身の人間と違ってAIは傷つけない存在です。それが救いなのかもしれません。
しかし、そうやって甘えてしまっていると、現実の人間関係の改善には繋がらないのではないでしょうか?
それとも本当に、AIと対話して満足していさえすれば、現実の人間関係(を構築する能力や人間としての資質)を改善だの伸ばすだのなんて、不要なのでしょうか?

まとめ

生成AIの普及と共に、スピリチュアル信奉者たちが癒しを求める相手としてAIを利用している現象は、私にとって理解しがたいものです。心の傷を癒す手段としてAIを活用するのは自由ですが、現実から逃げているのではと感じてしまいます。
そこで癒し、、、というか「独りよがりな慰め」を得ている人にわざわざ直接、物申して嫌われ役を買って出るほど今の私はお人よしではないので、そういう人がいるとしても建前としての笑顔でなんとなく相槌を打ってスルーするのですが。
他人のことに口出ししてる暇があったら自分こそしっかりしろ、ということでそういう人がいたら
「人間、こうなったら終わりだな」
と本心ではドン引きして反面教師にし、しかもそう思っていることを相手に悟られないよう完璧な演技力を身につけて発揮していこうと思います。

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